※この記事は、死生観ラジオ『『サピエンス全史』から考える死生観(後編)~認知革命をメタ認知せよ!』をもとにテキスト化したものです。
死生観ラジオ。
この番組では、死を起点としていまの生き方を考える「死生観」の入口に立ってもらうために、死生観にまつわるさまざまなお話をしていきます。
ナビゲーターは、葬儀社、仏壇墓石店に務めながら、フリーライターとして活動している玉川将人です。どうぞよろしくお願いいたします。
今日は、『『サピエンス全史』から考える死生観』の後編です。
1.前編のおさらい
まずは前編のおさらいです。
『サピエンス全史』の「認知革命」の章には、宗教が生まれた瞬間が書かれています。そのたとえとして分かりやすいのが、ライオンのたとえです。
サバンナモンキーたちも言語を持っていると考えられていますが、彼らが対応できるのは「いま」「ここ」という知覚できるリアルな事象に対してだけです。たとえば、目の前にいるライオンを見て、
「気を付けろ!ライオンだ!」
という警告を発することはできます。
しかしこれに対してホモ・サピエンスは、さらに高い次元のやりとりが可能です。
▶ライオンの過去の記憶を語る
「今朝、あそこの谷でライオンを見た!」
▶ライオンにまつわる噂話
「となりの村の〇〇というやつがライオンを倒したらしいぞ」→英雄を作り出せる
▶ライオンにまつわる嘘物語→やがて自分も英雄になる
「おれがライオンを倒したぞ」
▶ライオンを守護霊にする
「われわれの守護霊はライオンだ」→神の創造
…こうした抽象概念を語る能力を、ホモ・サピエンスたちは「認知革命」によって獲得したのです。
そして、英雄や守護霊といった存在がなんとも宗教的で、ここに宗教の誕生を見ることができるのです。目に見えない、形のないもの、実体のないものをあることにしちゃえてる、これが虚構を語る言語を手に入れたサピエンスの力です。
こうしてサピエンスは、何百、何千、何万、何十万といった規模で仲間同士が協力し合うことができ、そして地球上の覇者になっていきました。
実体のない造形物として作られたのが、頭はライオン、体が人間の「ライオンマン」。そしてこのライオンマンをロゴマークにした世界的自動車メーカーがプジョーです。
いまやサピエンスや、国や宗教を超えて、世界中のさまざまなサピエンス同士で助け合い、同型の自動車を世界中の道路の上で走らせるまでになったのです。
2.サピエンスは虚構なしには生きられない
『サピエンス全史』を読んで分かることは、私たちサピエンスは虚構なしには生きていけない生き物だということです。
つまり、虚構こそが、サピエンスのサピエンスたるゆえん、ということです。
よく私たちは…
「宗教なんて大嫌い」
「お金なんて汚らわしい」
「国の言うことは信用ならない」
…なんて言葉をよく耳にします。
でも、この宗教も、お金も、国家も、すべては虚構の産物です。私たちは、このような強大な力を持った伝統的な虚構こそ信じられなくても、虚構そのものなしには生きていけないということに気づくべきです。
▶宗教者は信じられないけれどインフルエンサーは信じれちゃう
▶円やドルなどの国が発行する通貨ではなく、トークンや暗号資産で新たな経済圏を作る
▶国民というアイデンティティはないけれど、GoogleやAmazonのようなメガテック企業の経済活動が毎日の暮らしに大きな影響を及ぼしている
でもこの、インフルエンサーも、暗号資産も、メガテック企業も、やっぱり根本をたどれば認知革命によって得られたサピエンスたちの虚構による抽象概念なのです。
そう。私たちは、虚構なしには生きていけないのです。
3.みんなが信じることで社会が成り立つという現実
このラジオは『死生観ラジオ』と銘打ってますので、宗教や死に隣接する虚構について考えてみたいと思います。
たとえば日本では、亡くなった人は三途の川を渡るとされています。人は亡くなると、49日間の旅に出る、その途中に三途の川が流れ、それを渡り、閻魔大王のところまでいって来世に生まれ変わる世界が決まるという物語です。
また、阿弥陀如来による極楽浄土も、生前悪いことをした人が堕ちてしまう地獄もまた、人々が創作した虚構、物語です。
三途の川や閻魔大王、極楽や地獄。これらはたしかに嘘物語なのかもしれません。
「宗教なんて嘘っぱちで信じられない」
…という気持ちはよく分かります。なぜなら、三途の川も、閻魔大王も、極楽も地獄も、見たことある人って、いないからです。実証できるものが何もない以上、「嘘だ」と言われればそれまでです。
でも私たちは、そうした物語を信じることで、社会を成り立たせています。もっと具体的に言うと、それによって経済が動き、自分たちの生活を営むことができているということです。
お正月の初詣をひとつ例にとってみましょう。
お正月には神社に初詣に行きます。誰もがその年の幸せを祈って、お賽銭にお金を入れて手を合わせます。神社やお寺を作るには宮大工さんの専門技術が要る。参道にはたくさんの屋台が出てて、からあげやたこ焼きなど、そこにいる人たちが商売をしている。鉄道会社はお正月を返上して、参拝者を運ぶために特別ダイヤで動いている。
つまり「神社に神様がいる」ということをみんなが信じることによって、経済が生まれ、生活が支えられ、社会が動いてるわけです。
私は仏壇屋さんで働いてますが、仏壇だって同じです。
仏壇というのは、仏様の世界を表したお寺のミニチュア版のようなものです。おうちの人が手を合わせることで、仏様の世界にアクセスしてご先祖様と出会い、会話できる場所だとされてます。
「そんなの本当の嘘っぱちだ?」
「仏や先祖がそこにいるだなんて、なぜ分かるんだ?」
こう言われると、悲しいことですが、ロジックで言い返すことはできません。仏様の存在はロジックではなく、信仰で支えられているからです。
でも、仏壇に手を合わせることで、大切な人と向き合い心が落ち着くという人も実際にいますし、その時間はとても貴く、誰かに侵されるべきものじゃないじゃないと思います。
そして何より、私自身もその仏壇をお客様のもとにお届けして、喜んで下さって、お金をいただく。それを会社に納めて、給料として再分配してもらって、大切な家族を養い、自分の人生を幸せにしようとしてる、そういう現実があるわけです。
1万円札はただの紙切れです。でも、「この紙切れには1万円分の価値がある」ってみんなが信じるから、1万円札は1万円札として成り立ちます。
これと同じように、「神社には神様がいる」ってみんなが信じてるからこそ、経済が成り立ち、暮らしが営まれ、社会が成り立ってるという現実があるということを、まず頭に入れておきたいところです。
4.大きな物語と小さな物語
このように、「サピエンスが創出した虚構」と聞くと、ついつい権力者や力のある人たちが作ってきた神話や物語、価値観や規範という風に考えがちではないでしょうか。
▶宗教が説く倫理や道徳
▶国家による政治や法律
▶企業による経済活動やそこから支払われるお給料
…など、僕たち庶民は、権力者による虚構、いわば「大きな物語」のようなものに対して受身となる存在なんだと考えがちです。
でも一方で、自分たちの中から湧き上がる虚構、「小さな物語」というのもあるのではないか、そう思います。
特に、葬儀や仏事などの弔いの現場で、宗教が語る大きな物語と、そこにいる人たちの中から湧き上がる小さな物語が出会う場面というものを、私は何百何千と、その現場で見てきました。
仏教やキリスト教などの宗教が語る死後の世界観、あるいは神様や仏様の群像などが、人間が作った虚構による物語だということを、多くの現代人たちは分かってしまっている。でもそれをさらに踏み込むならば、作り話だと分かっちゃいるけども、でもその作り話もまた必要なんだよね、ということが、とても大切なことだと考えます。
これは、弔いの現場に従事する私による確信なのですが、人間は亡くなってしまった仲間を弔わずにはいられない生き物なんだと思います。もっと言うなら、サピエンスは亡き人の行方を想像せずにはいられない生き物じゃないかなと思います。
というのも、葬儀社、仏壇店、墓石店と長年弔いの現場にいると、多くの人たちに共通するある光景を目の当たりにするんです。どういうことかと言いますと…
「おじいちゃん、今頃どこで何してるかな」
「先に亡くなったおばあちゃんに出会えたかな」
「今その辺のおじいちゃんがいた気がする」
…このように、すでに亡くなった人がいまもどこかで何かをしているだろうということを、当たり前に考えて、それを身近な人たちと会話しているんです。
そこに横たわっている遺体、お墓に還っていく遺骨は、もう2度と目を開けない、言葉も発しない、自ら立ち上がってどこかに歩いていくこともない。
でも、「故人はいまもどこかで何かをしているのでは?」という発想そのものが、サピエンス特有の、虚構的な、物語的な営みです。
サピエンスによる究極の虚構というのは、もしかしたら死後の世界のことじゃないだろうか、とすら思います。
神様や仏様、天国や地獄といった伝統的な宗教が語る大きな物語だけでなく、本当に大切な人を亡くしたときに私たちの中から湧き上がる亡き人の行き先、死後の安寧を願う想い、生前に亡き人と交わした言葉や思い出など、このような細胞レベルや本能レベルとも言ってもいい反応みたいなものが、小さな物語だと思います。
人は亡くなったら極楽浄土に行くんだという大きな物語だけを聞くと、「本当かな?」と疑ってしまいますよね。
でも一方で、「あの人は今どこにいるんだろう」という自分の中から湧き上がる不安に対する答えが見つからないこともまた、悲しみとして残るわけです。
両者はお互い補完し合えるものだと思うんです。自分の中から湧き上がる、死者の行方に対する不安や疑問みたいなものを、大きな物語が答えてくれる。そんな仕組みを作り出すことで、サピエンスは仲間との死別の悲しみを乗り越えてきたのかもしれません。
宗教が信じられないと言われる昨今であっても、漫画、アニメ、映画、文学など、死や死後を扱う物語が大量に生み出され消費されている。これこそが、サピエンスによる究極の虚構が死であることの証なのかもしれません。
5.サピエンスの幸福論をお釈迦様に学ぶ
『サピエンス全史』が語るように、認知革命のおかげで、私たちサピエンスは地球上の覇者になれましたが、その一方で、サピエンスが生み出した虚構によって苦しめられているということもたくさんあるかと思います。
著者のハラリさんは、下巻の最後の方で、幸福論について、次のように記します。
幸せに生きる最大の問題は自分の真の姿を見抜けるかどうかだ。
そして、その引き合いとして出されるのが仏教です。
仏教では、社会的な成功も、自分の内なる成功も、求めることで必ず苦しみが生まれるのだと説きます。これを「一切皆苦」などとも呼びます。
お金が欲しいと求めるから、お金がない状態が苦しい。
幸せになりたいと願うから、いまを不幸せだと認識する
大切なのは、お金持ちの自分や幸せな自分ではなく、自分自身の真の姿をいかに見抜けるかということだそうです。
ここで、お釈迦様の生涯を例にとって話を進めます。
お釈迦様は、シャーキャ国と呼ばれる国の王子様として生まれました。
当時の古代インド社会はバラモン教によるカースト制度という社会システムで成り立っていたそうです。王子さまのお釈迦様は、クシャトリアという比較的よい身分に生まれたこととなります。しかしやがて、世の無常を憂いて、お城を飛び出し、王様になれる身分をすべて捨ててドロップアウトをして、出家をし、修行僧としての日々を過ごし、やがて覚れるもの「ブッダ」となり、人々に教えを説いて生涯を終えます。
バラモン教という宗教。カースト制度という社会システム、シャーキャ国という国家、クシャトリアという身分。お釈迦様は、こうした人間が作り出した「虚構」によるしがらみから飛び出したとも考えられます。そしてお釈迦様はただただ自分自身の真の姿を見つめて、自分が世界とつながりの中で生きていることを悟ったと言われてます。
私たちは、社会の側から規定してくる肩書や身分によって、役割を演じます。
私の場合だと、日本国民で、姫路市民で、わが家における世帯主で、妻から見たら夫で、子供から見たら父親で、町内会では役員をし、会社の中でも社長から見たら従業員で、上司から見たら部下で、部下から見たら上司で、そういったさまざまな社会的な虚構が生み出した制度の中で役割を演じてます。
時に国の都合、会社の都合、家庭の都合に振り回されて(これらも全部虚構の産物…)、自分自身というものを見失うことも少なくありません。国のため、会社のため、家族のためといって、身を粉にして、自身の幸せを置き去りにしていませんか?
そういった社会的な役割みたいなものを全部とっぱらった、″混じりけのない自分の中の自分”のようなものを、仮に見出すことはできないにしても、そういうものを大事にしておくということが、虚構に振り回されずに、虚構とうまく付き合っていく方法なんじゃないかなと思います。
6.認知革命をメタ認知せよ!
サピエンスは、虚構なしには生きられません。会社を辞める、離婚する、家出するなど、お釈迦様のような極端なことはできなくても、虚構を虚構として認識しておくことで、バランスをとりながら生きていくヒントになる気がします。
三途の川や極楽や地獄などのような作り話も必要だということは、サピエンスが虚構なしには生きていけない生き物だということを知っていて、はじめて納得できるものかもしれません。
会社も、家族も、宗教も、国家も、もっというと、自由、人権、個人主義、自分らしさ、生きがいのある人生、これらもまた虚構の産物です。
認知革命について知っておくこと、つまり、認知革命をメタ認知することで、目の前のことに振り回されずにより大きな視点から物事と向き合えることができると思います。その意味でも、『サピエンス全史』はおすすめです。
7.エンディング
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