土に還るべきものは、どんなものでも、
土の色をしているのです。
こんにちは。とむらいマンです。
毎年夏になると、蝉がやかましいのですが、
蝉の一生というのは実にはかないものです。
そして、天寿を全うした蝉は地面の上でコロンと横たわるのですが、
今の時代、「地面」と呼ばれる多くは、アスファルトなんですよ。
これを見てますと、なんだかいたたまれない気持ちになるのは僕だけでしょうか。
あっついあっついアスファルトの上にですよ。
目を開けたまま、口を半開きにしたままの蝉がコロンと仰向け。
悲しくなりますやん!
僕は、アスファルトの上で息絶えた蝉を見つけると、
必ず近くの土の上や草むらの中に置いてあげ、
(土や草むらのある田舎に住んでいて本当によかった!)
地蔵菩薩の真言を3度唱えてあげるのです。
土の上に横たわることの安心感みたいなのは、さて、どこから来るのでしょうか。
これって、僕だけ?
アスファルトの上じゃ土に還れない。
土の上だと、蝉と土が同化するようで、なんだかほっとするのです。
なんか、色も似てますやん。
蝉の色は、土の色。
これを見て思い出されたのが、谷崎潤一郎の言葉です。
彼は、私たちが排泄するものと(つまり、「うんこ」ね)、
それを受けとめる便器についてこう綴っているのです。
なるほど、隅から隅まで純白に見え渡るのだから確かに清潔には違いないが、自分の体から出る物の落ち着き先について、そうまで念を押さずとものことである。
谷崎潤一郎『陰影礼賛』
土に還っていくものはみんな土の色をしているものなのです。
うんこの茶色は、白の便器の上では露骨にきたないですし、蝉が黒のアスファルトの上に打ち捨てられている様はあまりにもかわいそうじゃありませんか。
子どものころからずっと続けている。
毎年の夏の習慣なのです。
さて。
子どもたちも僕の真似をしたがる。
自分の息子や娘にも、
「ほら、死んでしまった蝉を土の上にこうやって還すんだよ」
と見せてやる。
そして子どもたちが、
「ああ!せみがしんでいる!つちのうえにかえすんだ!」
と、僕の真似をして蝉を掴もうとすると、
息絶えているはずの蝉が、
「ミミミミミミミミン!」と、最後の一啼きをふりしぼり、
「ギャアアアアアアア!」と逃げ惑う子供たち。
これも、毎年の夏の光景なのです。
とむらいマン
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