ホリエモンの超人的な活躍の根底には、「死の恐怖」があった!

過去に捉われず、未来におびえず、今を生きろ

 

こんにちは。とむらいマンです。

これ、ホリエモンさんの言葉ですね。

賢人には、必ずその人を代表する言葉ってのがあります。

デカルトの「われ思う、ゆえにわれあり」とか

太宰治の「選ばれてあることの恍惚と不安」とか

赤塚不二夫の「これでいいのだ」とか

あるわけですが、

ホリエモンは、きっとこの言葉を彼の思想や生き様を代表する言葉にしちゃったな。

さって、そんなホリエモンチャンネルを好んで見ている僕ですが、

あの藤原和博さんとの対談の中で、こんなこと言ってました。

 

 

これを見た時に、あの天才的でパワフルな多動力は、死の恐怖への反動だったのだと、

ふむふむ感心させられたものでした。

しかもホリエモンが筋金入りなのは、

6歳の時に死の恐怖が襲い、

ありとあらゆる医学書を読んだ上で、死が不可避であることを知り、

今を忙しくして死の恐怖を忘れちゃえ、という結論に至ったこと。

そしてそれを、思想化、言語化したのが、

 

過去に捉われず、未来におびえず、今を生きろ

 

という言葉に行くつくのだとか。

このプロセスが、ホリエモンらしいしなあと。

死の逆算(というか恐怖への反動?)から今を生きている、というところが意外でしたし、

人間臭さを感じて、親近感がより湧きました。

というのも、戦後の日本社会からは、死生観とか、死の匂いがことごとく消えてなくなりました。

これには、

敗戦による国家神道へのアレルギーとか、

高度なハイテクノロジーとか、

核家族化による地域共同体の崩壊とか、

お寺の堕落とか、

まあいろいろな理由があるのだけれど、

欲望を煽る資本主義の拡大再生産志向の先を行こうとしているホリエモンの、

つまり戦後の日本社会を超えようとしているホリエモンの、

出発点が「死」だったことに、驚いています。

 

ちなみに、死のことばかり考えている僕は、

過去という先祖と、未来という子孫とのつながりを超大事にしているし、それしかないと考えている。

でも、結局は、過去や未来を保証するのは

 

今!

 

しかないんです。

死を忘れるホリエモン。死を見つめるとむらいマン。

アプローチは真逆でも、行くつくとこは同じなのだなあ。

 

まあ、ホリエモンは、死を忘れようとしている天才。

僕は毎日死のことばかり考えている変態。

彼に会えたとしても、会話成立するのかなあ・・・(笑)

 

とむらいマン

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