生死の凄みを身をもって教えた男の生きざまと死にざま

このオレが、

こんな風になるなんて思わんかった。

でもこのオレが

こんな風になったんよ。

 

こんにちは。とむらいマンです。

今日は大変お世話になった住職のお葬式に参列しました。

57歳。すい臓がん。若すぎる最期でした。

 

罵詈雑言の中にある「愛」

数年前、本堂の修復を僕が担当させていただいたのです。

浄土真宗の本堂は、塗師、箔押師、蒔絵師など、さまざまな職人が出入りするたいへん大掛かりな工事。

その現場監督を僕がしたのです。

まだまだ入社数年だったし、これでもかってくらい頼りなかったと思う。

実際ほとんど監督なんてできてないのですが、

たくさんのことを教わり、たくさんの言葉で罵られた住職の言葉は、

今思うと、ひとつひとつが「愛」そのものでした。

住職の僕に向けられた罵詈雑言は、それはそれは辛辣なものでしたが、

(もちろん、罵詈雑言をかけられても仕方ないレベルだったので…)

仕事のできない僕への精一杯への愛だったといまなら理解できます。

(自分都合に曲解しすぎ?)

施工工事が終わってからは、逆にこれでもかってくらいに優しくしてくれた。

「月参りっちゅうのは、寺の固定収入のシステムじゃけえね」

「あそこの〇〇寺ってとこがもうすぐ継職(住職の世代交代のこと)するけえね、営業かけた方がええよ」

「●●寺は金がないけえ、行っても意味ないよ」

こういうことをにこにこしながら僕にサラサラ話してくれる。

営業マンには、何が必要で、何を話してやると喜ぶか。

そういう他者への想像力と気遣いが抜群な人でした。

(こういうとこは、本当に自分はダメなもんで…)

門徒に対してもそうだったのでしょう。

ことばに裏表のない人。

きついことばの中にも優しさがあった。

 

「極楽往生」ということばに託す想い

さて、浄土真宗本願寺派の寺院ですから、

挨拶に立つ組長(そちょう:浄土真宗におけるその地域支部の長)、葬儀委員長、親族代表、それぞれがマイクの前で、

死のこと「極楽往生」と言っていました。

57歳という現役住職。

あまりにも若い死ですから、天寿を全うしたわけでもなく、

おめでたさなんてどこにもない、悲しみや無念がただよう葬儀であるにもかかわらず、

「住職は、極楽浄土へ往生なさいました」

こう、言うわけですね。

死別は、辛く、苦しく、悲しいものですが、

だからこそ西の彼方にある極楽浄土がよりまばゆいものに感じられるものです。

受け入れらない、悲しい死別。

でも、無理やりにでもそれを受け入れなければならない。

だって、人間生きていかないといけないですからね。

それを受け入れるための智慧と言いますか、方便と言いますか、

浄土真宗では死を「往生」と呼び、

死後の世界を「極楽浄土」と呼んだのではないだろうか。

厭離穢土 欣求浄土

という言葉がありますが、

大昔から今日にいたるまで人々は、

生きることの困難さ、死という巨大な恐怖を目の前にしたときに、

その困難や恐怖が大きければ大きいほど、

まばゆいばかりの極楽浄土を頭に描き、心に念じたのだろう。

参列席で僕は、そんなことを考えていました。

僕たちは、死を見つめなければならない

喪主である坊守さん(ぼうもり:住職の奥さまの意味)の挨拶が、

とても気丈で、すばらしかった。

喪主あいさつの中のひとことに触れて、このブログを終えようと思います。

 

生と死が、いかに壮絶で厳しいものであるか

主人は、そのことを身をもって私たちに教えてくれたのだと思います。

 

やはり僕たちは、死を見つめなければいけない。

死から目を背けてはならない。

なぜなら、僕たちはいつか必ず死ぬのだから。

死を見つめづらい世の中で、

遺された家族に生死の凄みを知らしめた住職は、

いつまでも、かっこよく、優しい人だった。

この世の無常。

住職の生きざま、そして死にざまを想うと、

ことばにならない祈りが、ふつふつと湧いてくる。

ここに合掌し、住職の極楽往生をお念じします。

 

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

 

とむらいマン

 

★★最晩年の住職について、2度ブログを書いています。★★

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