大阪地震と台風21号 墓石と樹木葬の災害への耐性を比較してみる

石は永続的で、木は刹那的

 

こんにちは。とむらいマンです。

昨日の台風21号はあまりにも猛烈でした。

昼間の大都市をここまで襲う台風があまり記憶にないため、たくさんの衝撃的な映像やニュースを目の当たりにしました。

神戸の友人に電話してみると、それはそれはすさまじかったそうです。

死者も出てしまったとのこと。

お亡くなりになられた方のご冥福をお祈りし、被災された方にはお見舞い申し上げます。

 

昨日は一日中家に閉じこもりでしたので、

ひとつ記事を書いていたのですが、ちょうどテーマが樹木葬

外ではガタガタと暴風雨が雨戸を叩きつけているのですが、

その時ふと思ったのですね。

 

この台風の中で、樹木葬のお墓はどうなっているのだろうか…

 

もう、公園の樹木が根っこからへし折られ、なぎ倒されている動画や画像がどんどんタイムラインから上がってくるわけですよ。

 

 

https://twitter.com/ikkodate2008/status/1037095758590140416

 

お墓参りに行って、手を合わせようとしたときに、樹木がそんな状態だったら、これ、結構凹みますよね。

このたびの台風で、墓石に被害がなかったのかというと、あったみたいです。

 

 

台風でお墓が倒されるというのはあまり聞かないですね。

この画像で倒されているのはかなり古いお墓です。

いまは機械で接着面が水平に研磨されて、ボンドも使用して据え付けするために雨風への耐性は強いと思うのですが、この画像のはたぶん江戸時代とか明治時代のもので、台石の上に石を乗せているだけ。だから倒壊したのでしょう。

 

今年は6月18日にも大阪北部地震が起きました(本当に、今年の大阪は厄年だな)。

 

https://twitter.com/mikineko0613/status/1010569341367083008

 

昨日はいろいろな人のツイートをついついチェックしつつなので、

結局記事はあまりはかどらなかったのですが、

 

墓石と樹木葬と、どちらが災害に強いのか

 

ということをずっと考えてしまいました。

 

まず再確認しておきたいことがありますが、

「お墓」とは、遺体や遺骨を埋葬するところで、構造物としての「石」に特定されるものではない、ということです。

言い換えるならば

 

墓石も、樹木葬も、納骨堂も、広い意味ではみんな「お墓」

 

…なんです。

これ、「ごはん」に似てますよね。

米も、パンも、うどんも、献立が何であってもそれらはまとめて「ごはん」じゃないですか。

でも、その中でも主食としてイニシアチブをとっているのが米だから、「米=ごはん」と呼んでます。

日本社会では、お墓の中では墓石こそがイニシアチブを取っていたからこそ「お墓=墓石」として定着しているのでしょうね。

 

さて、お墓の耐性についてですが、

 

耐性ということであれば、石に勝るものはありません。

 

これはもう仕方のないことです。

木より石の方が強い。これはもう誰にでも明らかなことでしょう。

木は、燃えますし、枯れますし、なぎ倒されます。

石は、倒壊して傷つくことはあっても、消失することはないでしょう。

津波に流されても、土砂崩れに埋もれても、その石を見つけ出すことができたならば、

そこに彫刻されている文字から、これがどの家の墓石か判別できます。

これは別の記事「土もお墓 木もお墓 それでも石のお墓が一番好まれるニッポン的な理由」の中でも書きましたが、

日本人は、昔から祖霊信仰という死生観を積み上げてきた文化がありますから、

先祖のつながりが代々続くことを大切に考え、そのシンボルとして一番石が適していたのです。

石は風にも雨にも動じませんし、

文字を刻むことで何百年も先に生きる子孫たちにメッセージを残すこともできます。

そういうことを考えると

墓石は永続的であり、樹木葬は刹那的である

といえるのかもしれませんね。(もちろん、樹齢何千年って木もありますが…)

 

もちろんこれは「墓石>樹木葬」って話じゃないですよ。

あくまでも自然災害に対しての耐性の比較ね。

お墓はお金がかかるー、劣化する―、墓じまいが手間ー、墓守がおらんー、などの墓石特有の難点があるのも事実。

このへんはまた話がややこしくなるので、改めて丁寧に記事を書いていきますよ、はい。

 

ちなみに・・・

逆転の発想で、いつか枯れて朽ちてしまう木だからこそ、定期的に木を交換しようじゃないか、とする文化もあります。

その代表こそが、

 

伊勢神宮の式年遷宮

 

20年に一度、古い社を壊して新しい社を建てる。

これをもう1300年も続けているそうです。

定期的に木を交換するからこそ、それは更新や再生を意味し、人々も樹木への信仰を忘れない、という側面があります。

 

災害や自然への耐性という意味では、墓石の方が強いでしょう。

でも、個人主義の強い現代では、樹木葬の方が選ばれているのも、いたしかたないのかもしれないですね。

 

樹木葬をお持ちで被災にあわれた方々。

また、あたらしい草花を植えなおしてあげることも、供養なのかもしれません。

この場をお借りして、お見舞い申し上げます。

 

とむらいマン

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