あなたは、「お守り」を持っていますか?
神社やお寺で授与される、金襴の袋に入った、アレです。
お守り袋の中には、宮司によるお祓いや祈願、僧侶による祈祷や供養がなされたお札が納められています。
身に着けておくことで神仏のご利益やご加護をいただけるということです。
お守りの力は絶大で、ぼくもここぞという時に「ギュッ」と握りしめています。
今日はそんなお守りの話です。
自力でゲットした山頂のお守り
ぼくがいつも持ち歩いているのは、石鎚山の「頂上社守」。
石鎚山とは、愛媛県西条市と久万高原町の境界に位置する西日本最高峰の山のことで、標高は1982mです。
頂上社守は、山頂にある頂上社にしかありません。苛酷な登山をコンプリートしなければゲットできない、とても貴重でありがたいお守りなのです。
お守りには、神仏のご加護が込められていますが、これに加えて、しんどい思いをして自ら掴み取るのが頂上社守。神仏の「他力」と己の「自力」の両方が詰まったお守りですから、そのパワーたるや、強烈です。
ポケットの中のお守りに触れるだけで
「あん時、あんだけがんばれたじゃないか。やればできるゼ」
…という気持ちにさせてくれるのです。
ということで、「あん時のがんばり」について少しばかりお付き合いください。
1度目の石鎚山 遭難しかけた過去
ぼくは20歳の時、石鎚山を登拝しているのですが、じつはその時、遭難しかけています。
四国遍路を歩いて巡礼していたぼく。60番札所の横峰寺を参拝したあと、次の札所に向かわずに石鎚山の方角に向けて、四国山地の深山へと、歩を進めました。
石鎚登山は、ロープウェーで標高約1400mの成就社(登山口)まで行き、そこから山頂を目指すのが基本ですが、若かりしぼくはロープウェーを使わず、古くからの登山道「今宮道」登山に挑みました。
「挑む」といったカッコいいもんじゃなくて、若い奴の浅はかなノリでした。
横峰寺を出たのが午後1時。峠を下りきったところにある河口という集落(今宮道の登山口)に着いたのが午後3時。看板には「成就まで6.6㎞」とあります。
「夕方6時には、成就社まで行けんじゃね?」と安易に考えたのがいけなかった。
ずんずん山道を入っていくと、思いの外の悪路と急こう配。そしてあっという間にあたりが暗くなっていく。
山の日暮れは早く、天気は急変し、たちまち大雨。さらに悪いことに、焦りと不安から巡礼道を踏み外し、道なき道に迷い込んでしまったのです。
山の中で迷子になると、方角の感覚が狂い、恐怖ばかりが押し寄せてパニックがどんどん増幅します。頭上からはやむことのない大雨。足元はぬかるみ、北も南も分からず、どの道を引き返せばいいのか、冷静な判断ができなくなる。
本当に本当にこわくって、ぼくはたまらず、
「うわわわわー」
と叫んでいました。
それは、不安をかき消すためであり、だれかに気付いてもらうため。
でも、その叫び声は空しく、雨の音にかき消され、山の中に溶け込むばかり。四国の深い山の中に迷い込んで、いかに自分がちっぽけで弱い存在であるかを突き付けられます。
日はどんどん暮れていき、雨脚は強まるばかり。
「河口という集落のそばには、その名の通り、川が流れていたぞ」
「とりあえず低い方へ下りていくと、きっとどこかで川や沢にぶちあたるぞ」
「それ伝いにさらに下ると、どこかの集落にたどり着くだろう」
そんな直感だけを頼りに、ぼくはとにかく低い方へ、低い方へと下りました。
雷が「バリバリバリ~」と夜空を引き裂き、ぬかるみに足を取られ、岩に足を滑らせ、鼻水と涙と雨で顔をぐしょぐしょにしながら「これは死んでしまう」と、とりあえず何かをわめきながら、とにかく下へ下へと走っていったのです。
そうこうしていると、なんとかさっき立ち寄った河口にたどり着くことができ、数件並ぶ宿のうちの一つに身を寄せることができました。日はすっかり暮れ、150円で分けてもらったカップヌードルを啜ったのを覚えています。
翌朝、気を取り直してもう一度今宮道を登り、次はきちんと成就社までたどり着き、石鎚山頂まで登りきることができました。
2度目の石鎚山 高濃度圧縮されたユニゾン
それから21年後、ぼくは2度目の石鎚登山に挑戦します。
この日の目的は、小野龍光さん。
2023年6月に岡山のお寺でインド仏教最高指導者の佐々井秀嶺さんにお会いしましたが、その後、その隣にいた龍光さんと何度か連絡を取り合っていたのです。
「四国遍路をしている龍光さんを密着取材したいです」
「そうですか。その日は石鎚山に登っています」
ということで、同年8月22日、ぼくは石鎚山頂を目指したわけです(このあたりの詳しい経緯はまた別の記事にして書きたい)。
まさかこのタイミングでもう一度、石鎚山を登ることになるとは。
20歳のときは、自分が好きで四国遍路や石鎚登山に挑んだのですが、今回はいろいろな人の想いを背負っている感じ、いわゆる強烈な使命感のようなものに突き動かされていました。
なんでだろう。あくまで取材であって、家族たちから何かを託されたわけでもないし、自分の中の願いや祈りみたいなものを山に託そうとしたわけでもない。
でも、石鎚山がぼくを呼んでいるんです。
朝3時に姫路を出発し、ロープウェーで成就社に降り立った時には、「よっしゃ、みんなの分まで歩くぞ」というモードになっていました。
ぼくがいつも言うところの「ユニゾン」状態。これがいつもの数千倍も高濃度に圧縮された感じ。「1万人の第九」ばりのド迫力です。
龍光さんに会いに行くための取材であると同時に、21年ぶりのお礼参り。
「成長した姿を、山に、神に、亡き家族や先祖たちに見てもらおう」
そんな気概とともに、ぼくは歩を進めました。
石鎚山は登山道が整備されているので、歩きやすくはあるものの、とはいえ西日本最高峰。その道は長く、険しいのです。
足腰にかかる負担や苦しくなる呼吸に打ち勝つために、自分で自分を鼓舞する。身体がむちゃくちゃしんどい分、心が磨かれ、阿頼耶識が猛る。
登山中ずっと、亡き家族、姫路でぼくの帰りを待つ妻子、会社の人たちのことを考え、彼らの存在を僕の中に感じていました。みんながぼくに乗っかっているのです。
「よっしゃよっしゃ。みんなの分もまとめて登山しちゃる!」
そうやってたどり着いたのが、21年ぶりの石鎚山頂だったのです。
小野龍光さんとのご縁
頂上社からさらに岩場を伝っていったところにあるのが天狗岳です。
天狗岳には行っても行かなくても構わないのですが、ここが石鎚山の本当の山頂(標高1982m)。
龍光さんもまだ来てなさそうだし、せっかくだからということで、ソロ登山の方ふたりを巻き込んで、へっぴり腰で四つん這いになりながら、天狗岳にもお参り。むちゃくちゃこわかったけど、その分、心は晴れやかです。
そしてふたたび頂上社に戻って、岩場の上に腰を落としていたら、向こうからひときわ目立つオレンジの衣。
龍光さんがやってきたのです。
龍光さんは、出家前、世界の数々のウルトラマラソンを制覇しています。1200㎞にも及ぶ四国遍路もダイソーのサンダルで歩いてしまうようなお方。標高1982mを登ったあとというのに、その涼しげな顔に驚きです。
「龍光さん!」と近寄りながら声をかけると
「うわあ!玉川さん。本当に山頂で待って下さるとは」と感激して下さいました。
その後、小一時間ほどお話しし、途中まで一緒に下山し(龍光さんは土小屋ルートという別の道で帰られた)、午後3時過ぎにぼくも無事に下山できたのです。
お守りは、だれかのあなたへの祈りの結晶
とまあ、ここまで石鎚登山の話を延々としてきたのですが、これとお守りに一体どういう関係があるのか、最後にそのお話しをしますね。
石鎚山の山頂にたどりついたぼく。頂上社で目に飛び込んできたのが頂上守でした。
「おお!ここまで登りきった人しかゲットできないお守りじゃないか!」
昂揚感に任せたぼくは、何も考えずとりあえず5個購入。この爽快な達成感を大切な人にシェアしたいと直感的に思ったのです。後日、妻と、息子と、娘と、会社でお世話になっている先輩に手渡しました。
その時彼らには、
「石鎚の神様と、ぼくの自力が込められたお守りです。ぼくはいつだって、きみたちの味方だぞ」
…みたいなことばを添えました。
自分の分は、いつもは、神棚に置かせてもらい、会社に行く時、ここぞという時、胸ポケットに入れてます。
そして、迷いが生じた時、不安に襲われた時、気合を奮い立たせたい時、このお守りを胸にギュッと押し当てるのです。
すると、
「あん時、あんだけがんばれたじゃないか。やればできるゼ」
と、当時の高濃度圧縮されたユニゾンのアドレナリンが自分の中から湧き出てくるのです。
亡き家族の、四国の神々の、龍光さんの、そしてあのしんどい登山をやりきった自分自身の力があふれ出るのを感じながら、
「自分のこの命を、いま目の前にいる人のために使おう」
…そのように思わせてくれるのです。
お守りにも、きっといろんなお守りがあります。
なんとなく神社で買ったお守り。
大切な人からもらったお守り。
宮司や住職が「これを持ってなさい」と授けたお守り。
いずれにせよ、お守りには宮司や僧侶のお祈りが込められています。そしてそれを、ある時は自分のために、あるいは誰かのために、購入するのです。
つまりお守りは「だれかのあなたへの祈り」を形にしたものなのです。
もしもあなたのそばにお守りがあるならば、それを今一度大事にしてみて下さい。あなたに向けられただれかの祈りが、きっとあなたの心の奥底に響くはずです。神さまのご利益が、仏さまのご加護が、それを授けた人の祈りが、あなたを支え、守ってくれるはずです。
その力は、絶大なんです。
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