24歳で両親と死別。ぼくの仏壇じまいと墓じまい|仏壇カタルシス#17

仏壇じまい。墓じまい。最近よく聞くことばですよね。

日頃、仏壇墓石店で働いていると、仏壇じまいや墓じまいを望まれている方が多いことを直に感じます。

「仏壇を引き取ってもらいたいのですが…」
「お墓じまいってしてもらえるんですか?」

…というような問い合わせは、日常茶飯事です。

巷ではよく耳にするものの、自分ごととなると人生で一度あるかないかのこと。誰もが何をどのように考えるべきか、分からないようです。

そこでこの記事では、仏壇じまいと墓じまいの取り組み方について、ぼく自身の事例をケーススタディにして、お話していこうかと思います。

22歳の時に母を、そして24歳の時に父を亡くした若かりし日のぼくが、どのように仏壇じまいと墓じまいと向き合ったのか。あなたの参考になれば幸いです。

2人の息子。3つの仏壇。無数の仏像。5LDKの実家

まずは当時の状況を整理します。

ぼくの両親は一人っ子同士。つまり、父も母も親の供養を自分でしなければならない立場にありました。

お互いにまじめで、信仰心が篤く、特に晩年はお大師さん信仰に傾倒していました(四国八十八か所や、高野山へのお参りなど)。そのため、家の中には…

●父方の仏壇。浄土真宗
●母方の仏壇。臨済宗
●2人の祭壇。真言密教

…と、ひとつ屋根の下に3つの仏壇が祀られていました。

父方のは金仏壇の18号くらい、母方のは唐木仏壇の16号くらい。それなりの大きさです。

そして、いま思うと圧巻だったのが、真言密教の諸仏を祀るお手製祭壇。大日如来、不動明王、弘法大師、薬師如来、観世音菩薩、釈迦涅槃図などがズラリ。

仏壇店に勤務するいまのぼくだから分かるのですが、在家信者による祭壇としてはなかなかのボリュームで、これだけの仏さまを供養するのは、かなり大変なことです。

そして、父方にも母方にもお墓があり、こちらも、お互いがお互いのお墓にきちんとお参りをしていました。

子どもは男だけの三兄弟。長男はすでに亡くなり、次男(当時27歳)は実家の近くに、三男のぼく(当時24歳)は東京に住んでいました。

2人の息子と、3つの仏壇、2つのお墓と、5LDKの実家を遺して、旅立った両親。

もはや誰も住んでいない実家には、大量の家財と仏壇だけが残されていました。兄と僕は、どのようにして仏壇とお墓を整理していくことになったのでしょうか。

父方、母方、密教の祭壇別に、具体的な経緯を語っていきましょう。

【父方】仏壇は買い替え。お墓は継続

父方の仏壇は、玉川家を継ぐ者として、兄が引き取ってくれました。

当時アパートで5人暮らしだった兄家族。実家と比べるとかなり手狭で、よく長年、あの部屋に18号の金仏壇を祀り続けてくれたものと感謝しています。

念願だった新築の一戸建てに合わせて、仏壇を買い換えました。選んだのは、最近人気のモダンでコンパクトな上置き仏壇。ご本尊も中の仏具も一新しました。

お坊さんを招き、これまでの仏壇には遷仏法要(魂抜き)を、新しい仏壇には入仏法要(魂入れ)をしてもらい、これにはわたしも立ち会いました。

兄家族はいまでも毎日丁寧に手を合わせてくれていますし、わたしも帰郷の際にはお参りしています。ありがたい限りです。

不要となった金仏壇は仏壇店に引き取ってもらいましたが、これまで長く本尊として祀られていた阿弥陀さまの仏像だけは、「なんとなく処分したくないな」と思い、ぼくが引き取りました。

仕事部屋の一角にお祀りし、毎朝お花の水を替え、お線香を手向けています。なまんだぶつ。

お墓に関しては、まだまだ玉川家が続いているわけですから、継続してお墓参りをしています。ぼく自身も帰郷の折には、きちんとお参りしています。

【母方】仏壇は処分。墓守は続ける(将来は墓じまい)

一人娘だった母。祖父母が亡くなった時点で、家はすでに途絶えています。

そして母も急死。仏壇とお墓だけがポカンと残ってしまいました。

中に入っているのは、ぼくらのじいちゃんばあちゃん。粗末にはできない。でも、ずっと供養し続けるのも大変。ぼくたち兄弟の中では、「この仏壇はお坊さんに拝んでもらって、処分しよう」という考えで一致しました。

兄がどこかで手配したお坊さんがやってきて、魂抜きをし、密教祭壇の諸仏と一緒に引き取ってもらいました。

ここは、強調しておくべき点ですが、母方の家には、臨済宗の菩提寺がありました。そのため、本来は菩提寺に魂抜きと永代供養をしてもらうのがベターです。

当時27歳と24歳だったぼくたち兄弟は、「菩提寺」ということばすら知らなかったのですが、もしもあなたのおうちに菩提寺があるのなら、魂抜きや永代供養はそのお寺にお願いするのが賢明です(菩提寺との向き合い方についてはまた詳しく記事にします)。

そして、次にお墓の問題です。菩提寺の境内にある祖父母のお墓をどうしようかとなった時、ぼくは兄にこう言いました。

「玉川家の先祖供養は兄ちゃんが中心になってしてくれちょる。じゃけえ、母方のはおれが墓守するよ」

当時東京に住んでいたものの、年に1回でもお墓参りを絶やさず、お墓を守り続けたいと強く思っていました。その理由は3つです。

●大事な祖父母だからこそ、身体が元気なうちは、墓守、墓参りをしたい。
●兄ばかりに負担をかけたくない。自分も主体的に先祖供養したい。
●菩提寺の副住職に感銘を受けていた。(お経が本当に素晴らしく、いつかそのことを記事にしたいくらい)

こうした想いと、ことの顛末を伝えに、ぼくは菩提寺に出向きました。

ぼく「母と父が亡くなり、家を片づけることになりました」

お寺「そりゃあ、大変じゃったね」

ぼく「はい。母方の仏壇は、兄が手配したお寺に供養してもらって、祖父母の位牌とともに処分してもらいました」

お寺「ええ‼ マジ⁉(…みたいな戸惑いを隠せない表情をしていましたが、ぼくたちがあまりにも若かったからか、もはやどうしようもないからか、咎められることはありませんでした)」

ぼく「兄と相談して、祖父母のお墓はぼくが守っていこうと思います」

お寺「そりゃあ、偉い心がけじゃね」

ぼく「でも、いつかは永代供養になるかと思います。その時はおいくら納めたらいいのですか?」

お寺「まあまあ、いますぐそんなこと考えんでええですよ。遠くからわざわざ大変なのに、来れる時にお参りに来てくれたら、いまはそれでええよ」

…という感じで18年。毎年お墓参りをしては、管理費と姫路の銘菓を納め続けています。

ここで大事なのは、「将来は墓じまいをして永代供養にする」というこちらの想いを事前に伝えておくことです。そうしておくことで、ぼくも、お寺も、心理的に安心できます。

そして同じことを家族にも伝えておくこと。

さすがに、ひ孫にあたるぼくの息子にまで墓守をさせるつもりはありません。孫のぼくができる限りのお墓参りをすれば、祖父母はきっと満足してくれるはずです。

ぼくが60歳か70歳くらいになったころ、「問いきり」(民俗学のことばで、供養の完成を意味する)として、墓じまいと永代供養をすることになるでしょう。

しかし、未来は何が起こるか分からない。それまでにぼくの身に何かがあってはいけませんので、ぼくの意向をお寺や家族に伝えておくことが大事なのです。

【密教の祭壇】違和感を与えるものは、手放した方がいい

最後は、密教の祭壇です。

兄が探してきたであろうお坊さんは、おそらく真言宗の方だったと思います。つまり、両親が信仰してきた密教のプロに、魂抜きをしてもらったのです。

部屋に入ったとたん、お坊さんの眉間にしわが寄ったのを忘れません。そしてひと言、こう言われました。

「違和感を与えるものは、手放した方がいいですね」

当時のぼくは、そのことばの意味を直感的に理解しましたし、いまならよく分かります。

わが家はいろいろあって、苦労の絶えない両親で、晩年は救いを求めて、仏教(特に密教)への信仰を深めていきました。だから、「あの仏さまも」「この仏さまも」と、ご縁を感じた仏さまの仏像を次々と購入し、並べていったのです。

ただ、両家の仏壇に加えて、これだけの仏さまを、在家の人が供養するのは、並大抵のことではありません。

その祭壇は、両親のキャパシティを大きく超えるほどの信仰生活を、悲壮感とともに如実に映して出していましたし、そのことをお坊さんは一瞬で感じ取ったのでしょう。

もちろん、密教に傾倒していった両親の想いを尊重したいし、気持ちもわかるし、それ自体が悪いことではありません。

でも、性根抜きをしてもらい、お坊さんがすべての仏像たちを引き受けてくれたことで、ぼくたち兄弟の心の中の鉛のようなものが消えてなくなったことは、間違いのない事実です。

もしもあなたのおうちの中に、気がかりになっている仏像や、お札や、お守りのようなものがあり、それが心の負担になっているのであれば、まずはお寺に相談して引き取ってもらうのも、ひとつの方法です。

死者とのつながりは、いまもずっと、続いている

ということで、ここまでわがやの仏壇じまいと墓じまいのお話をしました。

「どういう流れで」
「業者はどこに」
「費用はどれくらい」

というようなことは触れられなかったのですが(兄が中心となってやってくれたし、そもそも記憶があいまい)、少しでも参考になりましたでしょうか。

仏壇じまいと墓じまい。心身ともにエネルギーがいることです。

そして、仏壇じまいや墓じまいをしたからと言って、死者や先祖とのつながりが途絶えるわけではありません。

ライフスタイルは絶えず変化していきますし、何よりもぼくらもいつかはこの世界を離れていく身なわけですから、その状況に合わせて仏壇じまいや墓じまいをすること自体、何も悪いことではありません。

でも、仏壇やお墓には、これまでの家族や先祖の「祈り」が凝縮されていますから(父ちゃん母ちゃんも、じいちゃんばあちゃんも、みんなそれに祈り、祈られてきた)、だからこそ、心を込めて、丁重に扱い、感謝を示しながら、整理したいものですよね。

そして、仏壇を買い替えたり、位牌をお寺に預けたり、お骨を永代供養墓に納めたりすることによって、祈りそのものは継続して行えます。

少なくともわが家の場合は、仏壇とお墓をいったん整理したものの、それによって死者や先祖への祈りの想いが減少したことは、兄も、ぼくも、1ミリもない。そのことだけは、断言できます。

死者とのつながりは、いまもずっと、続いているんです。


仏壇カタルシスとは…

仏壇店に勤務するライター・玉川将人が、
インド仏教最高指導者・佐々井秀嶺師からの…

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ここにいる人たちのために
本を書きなさい。

…という宿題を成しとげるべく、仏壇にまつわるお話を語っていきます。
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