どんなに葬儀社に5年勤めようとも、
とむらいマンを15年していようとも、
葬儀への参列は、そのつどドキドキ緊張します。
なぜなら、その人への弔問は、
いつだって「初めて」だからです。
こんにちは。とむらいマンです。
大変お世話になった方が亡くなりました。
御年67歳。まだまだ若い。
知らせを受けたのが、通夜の直前。
家族葬で行うとのこと。
儀式は家族だけで行うけれど、
死の事実は知れ渡る。
よくあることです。
18時開式で、知らせを受けたのが17時半。
式場までは車で1時間。
葬儀は家族葬。
弔問や香典の辞退は遺族の意向。
間に合わないだろうなあ。
しかもその晩、
僕は妻と子供たちと僕の友人とで焼き肉パーティーの予定。
参列すべきか、しないべきか。
すごくすごく迷ったのですが、
参列しました。
だって、ものすごくお世話になったから。
最後に顔を見たかったから。
お別れを言いたかったから。
焼き肉なんていつでもできる。
だけど、その人の顔を見るのは今日が最後。
もしもお通夜に駆けつけなくて、
焼き肉パーティーしたところで、
きっとお肉もビールも美味しくない。
つまり、
この世の誰もが、
お世話になった故人も、カミも、ホトケも、
ありとあらゆる山川草木が
通夜に行くことを命じていたようなのです。
いや。
命じられたから行くのではなく、
自発的に、顔を見たかった。
妻からLINE。
「息子が泣きそうになってる」
息子に電話。
とむらい「なあ息子。お父さんは、とむらいマンだろ」
息子「うん。とむらいマン」
とむらい「火事が起きたとき、消防士は消火と焼き肉、どっちをとる?」
息子「消火」
とむらい「事件が起きたとき、警察官は追跡と焼き肉、どっちをとる?」
息子「追跡」
とむらい「お父さんは?」
息子「とむらいマン」
とむらい「ごめん!」
息子「いいよ」
家族たちには必ずこの借りは倍にして返すことを約束して
僕は会館に急行したのでした。
会館に到着すると、通夜式も終わり、
家族だけのロビーと式場。
喪主の奥さんは僕の姿を見るなり、驚きの顔。
でもその表情に、拒絶の色はなく、
すぐに僕を受け入れてくれた。
奥さん「とむらいくん。わざわざ来てくれてありがとう」
とむらい「いいんです。すごくお世話になったから、最後に会いたかったんです」
18時開式で17時半に知らせを聞いた。
とにかく急がなきゃと、喪服もないし香典もないし数珠もない中、
とにかく急いだ。
でも、その想いが、きっと喪主には届いたはず。
グレーの上下に茶色の革靴。
香典もない。数珠もない。
それでも喜んでくれた奥さん。
「家族葬にしたから、ごめんね」
いやいや。謝るのは急に駆けつけたこっちの方。
奥さんは、全然悪くないんです。
だけど、僕は思うんです。
どんな人にも弔う権利があるし、
死者は、どんな人からも弔われる権利がある。
誤解を恐れずに乱暴に言うならば、僕は心の中で、改めてこう思った。
「家族葬は、だめだ」
僕はとむらいマンです。
「とむらい」とは「弔い」と書き、その語源は「訪ひ」だそうです。
つまり、弔いって、
人を訪ねてナンボ、なんですよ。
香典の金額とか、服装とか、数珠とか、言葉遣いとか、作法とか、
これらはもろもろ大事なのですが、
それよりももっと大事なことがある。
会いにいくとこ。弔う(=訪う)こと。
だから僕は、
社会的な理由や各家庭の事情はものすごく分かるけれど、
参列を制限してしまう家族葬ってのは、
やっぱりどこかズレていると思う。
あのまま、誰も知らない家族葬だったら、
僕はきっと、ずっとずっと死の事実を知らなかった。
運良く訃報が耳に届いたのは、きっとあの人が僕と会いたがっていたからだと信じたい。
祭壇の中の故人を見た。
あんなに元気だった顔がやせ細り、
髪の毛ははげあがり、顔が白い。
それでも、いい顔してた。
きっと安らかに成仏する。そんな顔だった。
迷惑だったかもしれない。
でも、会えて、本当によかった。
会いにいって、本当に、よかった。
そして振り回した家族や友人には、
倍にして埋め合わせをしなきゃいけない。
それができて、はじめて「供養」だと思う。
合掌
とむらいマン
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