仏壇と”仏壇的”なものと|仏壇カタルシス#1

毎日仏壇屋さんで働いていると、たまにこんなお客様がおられます。

「仏壇じゃないんですけど、もっと小さくて、手を合わせられるものがほしいんです」

これ、どういうことかと言うと、

「仏壇はいらないけれど、”仏壇的”なものがほしい」

…ってことなんだと思うんですね。

なぜ仏壇でなくて、”仏壇的”なものなのか。
仏壇と”仏壇的”なものの共通点と相違点は。
それでもやっぱり仏壇が求められる理由。

そんなことに思いを馳せてみたいと思います。

仏壇と”仏壇的なもの”はイーブン

メモリアルアートの大野屋さんが実施した『「仏壇」に関する意識調査』(2019年)によると、

「あなたの住まいに仏壇は必要だと思いますか?」

という問いに対する回答は以下の通りだったそうです。

「必要ない」50%
「必要だと思う」27%
「必要だが、仏壇の代わりになる他のものでもよい」24%

正直、この調査結果そのものはあまりアテにならないと思っています。
なぜなら、仏壇や供養の必要性というのは、大切な方を失ってはじめて感じられる側面が強いからです。
10代以上の男女にランダムで行ったインターネット調査がそのまま日本人全体の仏壇に関する意識を表しているかというと、正直微妙なのです。

むしろ興味深いのは、「仏壇」と「仏壇の代わりになる他のもの」がほぼ同数という点。
この「仏壇の代わりになる他のもの」こそが、いわゆるここで言うところの”仏壇的”なものなわけです。

”仏壇的なもの”が求められるわけ

ではなぜ、仏壇ではなく、”仏壇的”なものが求められているのでしょうか。
そのためにはまず、仏壇が持つ役割というものをおさらいしてみましょう。

仏壇の役割は次の4つだと考えます。

  1. 故人さまやご先祖さまの供養(死後の安寧を祈る)
  2. 自分自身の見つめ直し(近況報告、誓い、懺悔などを通じて)
  3. 宗教儀礼の場(年忌法要、僧侶のお参り)
  4. 家族や親戚とのつながり(法事、盆暮れの帰省)

ところが、最近の人たちって、この(3)と(4)を不要だと考える人が少なくないんですよね。

(3)を不要だと考える人の頭の中

「お坊さん呼ぶと、お布施が高くつくから、いらん」
「無宗教葬でしたし。仏壇もなくてもいい」
「形よりも心。昔からのしきたりになんて捉われなくても大丈夫」

(4)を不要だと考える人の頭の中

「そもそもお参りの人がいないから、自分好みの仏壇にしたい」
「法事はお寺でする。だから家の中に仏壇がなくてもいい」
「仏壇を置く場所がない。超コンパクトでいいじゃん」

かつての家は、冠婚葬祭を行う仏間というものがありました。
家は、いまを生きる自分たちだけの暮らしの場でなく、先祖とつながる場であり、親戚や地域の人たちを迎え入れる場所でもあったわけです。

でも、いまの家って、きわめてプライベートな空間ですよね。結婚式もお葬式も会館で行うのが当たり前の時代ですし、地域の寄り合いをわが家でするってこともめっきり減ったのでは?

そうすると、お仏壇の持つ宗教性や社会性っていうのが、どうしても不要に思えてきて、

「手を合わせる場所はほしいけど、仏壇じゃなくてもいい」

…と考えるようになっていくのです。

妻の猫壇

仏壇と仏壇的なもの。この差っていったい何なのでしょうか。

わがやには仏壇はありません。でも”仏壇的なもの”はあります。

2年前に20歳という年で大往生した黒猫・ニュイは、ぼくよりも長く妻に寄り添ってきました。

妻にとってニュイは家族同然、一心同体の存在でしたから、火葬を終えたあと、遺骨、写真、そしてお花やお線香を並べて手を合わせることは、とても自然な営みでした。

でもはじめのころは、多少戸惑っていたものです。

「昨日まで生きてくれていたニュイが、今日はいない。でもその存在は感じる。どうすればいいの?」

溢れんばかりのニュイへの想いの持って行き場がなかったのです。

そこで妻は、本棚の上に、写真と、遺骨と、思い出の品々を並べて、お線香を一本立て、そして手を合わせ始めました。

そこには仏像も位牌もありません。
でも、祈り、供養、弔いが行われています。
仏壇でこそないものの、きわめて純粋な祈りの場、”仏壇的”な場所だと言えます。

そしてその営みをルーティン化することで、妻はようやく自分なりの祈りのスタイルを手に入れ、亡きニュイとの向きあい方に納得できるようになったのです。

いまでは、日々の報告、懺悔、誓いを、ニュイに向かって語りかけている妻。神仏やご先祖さまと同じように、亡きニュイは妻の精神性の大きな寄る辺となってくれています。

さて…。
遺骨、写真、お線香。こうしたものを用いたのは、やっぱり伝統的な「仏壇」というスタイルを借りているわけです。仏壇の中で取り入れられそうなものをマネして、妻は自分なりの「猫壇」を作ったわけです。

こうしたシーンは、なにも妻の猫壇だけでなく、仏壇を用いずに、亡き人を弔う人の中に、実に多く見られます。
戸棚の上に故人さまの遺骨や写真を置いて、お花、お線香、ローソクを並べる。中にはおりんを「ちん」と叩いて手を合わす人もいます。

市販されている手元供養アイテムの中でもやっぱり人気なのは、写真立て、骨壺、香炉、おりんなどです。手を合わす対象が本尊(仏さま)や位牌(ご先祖さま)でないだけで、やっていることはそう大して変わらないことが分かります。

仏壇というクラシカルな「供養のための箱」ではないものの、亡き人を表すもの、亡き人へのお供え、そして祈り、ホモサピエンスは本能的に、亡き人への弔いを求める性質を持っているようです。

”仏壇的”なものの正しい設え方、祈り方

”仏壇的”なものって、要はフリースタイルなので、その設え方、祈り方に、正しいも正しくないも、ないんです。
あなたの自由、あなたの納得こそが、正解です。

とはいえ、「あなたの自由にしていいですよ」と言われると、それはそれで不安になってしまいますよね。なぜなら、形式がある方が、人間落ち着けるからです。

それでも、クラシカルな仏壇ではなく、フリースタイルな”仏壇的”なものを求めるあなたのために、心が満たされる設え方と祈り方をアドバイスいたしましょう。

”仏壇的”なものの設え方

まずは”仏壇的”なものの設え方。ポイントは次の3つです。

●亡き人を思い出せるもの
写真、遺骨、お手紙、思い出の品々などを並べましょう。大事なのは、故人さまのことを思いだせるもの、あるいはそこに故人さまの存在を感じられるかです。ちなみに、写真はあなたが思う「これ!」というものを選びましょう。特に明るく元気な故人さまの人柄あふれたものが理想です。毎日目にするものですからね。

●亡き人へのお供えもの
あなたの手を加えたものを差し出すという営みが大切です。あなたが活けたお花、あなたが炊いたごはん、あなたが選んだお線香など。あなたの手間ひまの一つひとつが、そのまま故人さまへの想いとなるのです。また、故人さまが好物だったものをお供えするのもよしです。

●心静かに手を落ち着けられる場所
戸棚の上でも、ベッドの横でも、場所はどこだって構いません。大切なのは、一旦手を置いて、姿勢を整えて、深く呼吸ができて、心静かに故人さまに向き合える環境にあるかということです。昨今の狭いおうちの中では、”仏壇的”なものを置く場所は限られますが、可能な限り、心を落ち着かせられる場所を探しましょう。

毎日の営みで大切なこと

●お掃除
とにかく”仏壇的”なもののまわりはきれいにしておきましょう。清らかな環境を維持することが、故人さまのよろこびにもなりますし、あなたの精神衛生的にも望ましいでしょう。お掃除をするだけで、心が清らかになれるというものです。

●心静かに合掌
目に見えない、会話もできない、肌にも触れられない故人さまとのつながりは、心の奥底でしかできない精神的な営みです。だからこそ、テレビの音を消して、”仏壇的”なものの方をまっすぐ向いて、大きく深呼吸して、故人さまにことばを語りかけてほしいものです。

それでも仏壇が求められる理由

ここまで、仏壇的なものについてあれこれ書いてきました。

祈りのフリースタイル。あなたの心が少しでも満たされるかたちで、”仏壇的”なものを設えて、祈りを行ってほしいものです。

とはいえ、それでもぼくは、いまでもマジョリティは仏壇だということを、現場レベルでよく知っています。

大切な人を失った時、故人さまが遺骨となった時、お坊さんから戒名を授かった時、やっぱりそれらをきちんと扱わないといけないというい心理が働きますし、仏壇を構えて安心したいと考えてしまうものです。

仏壇は捨てたものじゃないし、仏壇はすばらしいし、”仏壇的”なものと比べても、いまでも仏壇は求められているのです。

それはすなわち、”仏壇的”なものが排除してきた仏壇の宗教性(=お坊さんによる儀礼)や社会性(=家族や親戚のつながり)が求められていることに他なりません。
このあたりは、また次回以降、じっくりと語っていきたいと思います。

 


仏壇カタルシスとは…

仏壇店に勤務するライター・玉川将人が、インド仏教最高指導者・佐々井秀嶺師からの…

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…という宿題を成しとげるべく、仏壇にまつわるお話を語っていきます。
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