春彼岸のたびに、千昌夫の「北国の春」が泣ける

白樺 青空 南風

これだけで泣けますわ

 

こんにちは。とむらいマンです。

今年も彼岸がやってきましたね。

彼岸って言うのは、年に2回ある仏事の季節のことです。

春分の日を中心に、前後3日を含めた7日間が”春彼岸”。

秋分の日を中心に、前後3日を含めた7日間が”秋彼岸”です。

 

季節が交錯し、死者と生者が語らう。

 

春分と秋分は、季節を分ける日です。

春分が来ると、いよいよ世界は温かくなるし、

秋分が来ると、いよいよ世界は寒くなる。

この季節の変わり目を、草木や虫や動物や、

あらゆる命という命が肌で感じて、にょきっと世界に顔を表し始めます。

そんな、生命の動きを感じられる日を、私たちの先祖は大切にしたのでしょうね。

季節が交錯するこの季節に、

死者と生者も出会い、語らったのです。

 

インドや中国に「彼岸」はない

 

この彼岸を死者供養と結びつけているのは、実は日本だけのようです。

中国にも春分や秋分はもちろんあるのですが、

別に休日でもないし、何かをするわけではないようです。

インドの暦である「インド国定歴」では、3月22日が年始だそうですね。

では、なぜ日本人は彼岸と死者供養を結び付けたのでしょうか。

このあたり、明確ではないのですが、

日本独自の浄土信仰がそのもとにあるのではないかと言われています。

 

日想観 西に沈む太陽への祈り

 

「観想」という修行法があります。

瞑想する中に神仏を観る修法です。

「観仏」や「阿字観」など、さまざまな方法がある中で、

日想観」というものがあるそうです。

『浄土三部経』のうちのひとつの「観無量寿経」の中には

極楽往生するための方法として、

浄土の情景を思い浮かべる「観想」について書かれています。

16ある「観想」のうち、

その一番始めに書かれているのが「日想観」です。

読んで字のごとく、日、つまり太陽を見つめます。

西に沈む真っ赤な夕日を見ながら、心を鎮めて、己の中に仏を見出します。

太陽は万物の源であり、西は阿弥陀如来の仏国土である極楽浄土がある方角。

特に浄土信仰の中で日想観は実践されてきました。

大阪四天王寺の西門は、極楽浄土の東門であるという信仰が広まり、

いまでも彼岸法要で日想観が行われています。

大勢の人がごった返す、大阪を代表する一大行事です。(くわしくはコチラ

 

千昌夫の「北国の春」が泣ける

 

えー。これはまったく十村井の主観なのですが、

春の到来を告げる歌として、

千昌夫さんの「北国の春」を聞くと、

なぜかいつも涙ぐんでしまいます。笑

 

故郷に帰ろうかな 帰ろうかな

 

故郷というのは、両親がいるところであり

自分を産んだ土地なのですよ。

その土地の中には幾千万の先祖がいたわけで、

そのシンボルが、お墓なのですね。

都会に出た人間が、田舎に帰る。

生きている者同士の再会だけでこれだけ心を動かすのです。

さらにそこに死者やご先祖様が巻き込まれることで、

この歌は、ぐっと深みを得ているのだと思います。

 

 

さあ! 明日は春分の日です。

天気はあいにくの雨ですが・・・

連休はとれないけれど、

日帰りでドライブして、

みなさんも会いたい人に、会いませんか?

お墓参り、しませんか?

 

とむらいマン

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