お供え物は愛。選ぶ時間が喜びです|仏壇カタルシス#9

「贈り物は、選ぶ時間が喜びだ」なんて言いますが、であるならそっくりそのまま、「お供え物も、選ぶ時間が喜びだ」と言い換えられるのではないでしょうか。

お供え物は愛。亡き人へのプレゼントです。今日は、そんなお供え物について、じっくり語ろうかと思います。

※この記事は、対外的な供物ではなく、日々の暮らしの中で行われる、おうちのお仏壇へのお供えについて考えを巡らせています。進物のマナーやノウハウをすぐに知りたいにはちょっと的外れになっているかもしれません。ご了承ください。

贈り物は、選ぶ時間が喜びです

誕生日。記念日。お祝い。お中元やお歳暮…。贈り物って、何を贈ればいいのか分からなくて、物選びが大変ですよね。

でも一方で、「選ぶ時間にこそ意味がある」というのも、いろんなところから聞かれる声です。

贈る側は物を選ぶ時に、「何を贈ると相手が喜ぶかな」と考えます。

それはつまり…

「日々どんな暮らしをしているのかな」
「趣味は何だっけ?」
「何に喜びを感じてくれるかな」

…などと、その人の性格、嗜好、価値観、日々の暮らしについて、じっくり考えることに他なりません。

「最近忙しそうだから、リフレッシュできるものにしよう」
「北欧雑貨が好きだから、それにちなんだ食器はどうかな」
「仕事をがんばっているから、ネクタイや名刺入れなんていいかも」
「お花を贈ろう。たしか赤やオレンジなどの明るい色が好きだったはず」
「仲の良い家族だからみんなで分けられるお菓子にしようか」

…といった具合です。

贈り物は、選ぶ時間こそが喜びですが、ここで言う「喜び」とは、贈る側、贈られる側、それぞれにとっての「喜び」だと、ぼくは感じています。

贈る側は、選ぶ時間と購入費用を費やしますが、これがじつは自身の喜びにつながっています。

「タイパ」や「コスパ」など、最近なにかとタイム(時間)やコスト(お金)のパフォーマンス(見返り)を求める風潮にありますが、大切な人へのプレゼント選びって、見返りを気にせず、ただただ時間やお金をその人のために費やすだけの行為です(中には見返りを期待するプレゼントもありますが…)。

「ひとはひとをよろこばせることが一番うれしい」

これは、『アンパンマン』の作者、やなせたかしさんのことばですが、「相手が何を贈ったら喜んでくれるかな」と悩んでいる時間は、すでに嬉しくて、喜ばしい時間です。

そして、贈られた方も、ただ受け取った物が嬉しいということに加えて、自分の喜びのために費やされた時間やお金を想像して、そこに込められた「想い」が嬉しいものです。

「わたしが何に喜ぶのかをしっかりと考えてくれたのだな」
「わたしの好みのことを覚えてくれていたんだわ」

このように考えてみると、贈り物選びをしている時点で、お互いの心はすでに通い合っているんです。

お供え物も、選ぶ時間が喜びです

まったく同じことがお供え物についても言えます。

お仏壇には仏教的な「仏さま」と、ぼくたちの家族である「ご先祖さま」が祀られています。

ごはん、お茶、お花、ローソク、線香など、こうした形式化されている鉄板のお供え物は、仏さまへのお供え物だと思えばいいでしょう。

一方で、亡き人やご先祖さまに対しては、彼らが喜びそうなものをお供えしてあげることをおススメします。

なぜなら、故人さまの好物を選んでいる時、すでに故人さまそのものについて、考えを巡らせ、想いを差し向けているからです。

仕事柄、いろんなおうちのお仏壇の前にいさせてもらいますが、あふれんばかりのお供え物をお仏壇の中に詰め込んでいる方、たくさんおられます。さらにはお仏壇の中に納まりきらず、脇に小机を置いて、そこにお供え物を並べているおうちも無茶苦茶多い。お菓子、果物、お酒、ジュース・・・なんでもありです。

そして、これが不思議なのですが、お供え物をきっかけにすることで、故人さまの物語に触れることができるんです。

「甘いものが大好きでね。和菓子でも洋菓子でも、どっちも好んで食べていました」
「ジューシーな果物が大好物。入院中もオレンジやグレープフルーツをよく剥いてました」
「最後は病気で大好きなお酒が飲めなかったから、その分ビールをお供えしてあげてます」
「タバコが大好きだったんです。天国で煙たがられてるかもしれないけど(笑)」

食べ物や飲み物って、生きていく上で不可欠なものですから、お仏壇に並べられたお供え物は、そっくりそのまま亡き人への「不死の想い」の凝縮なんだと思います。

故人さまはそこにいる。そんな想いにさせてくれるお供え物だからこそ、故人さまの物語をより立体的に引き出してくれるのです。

供養とは、忘れないこと、思いだすこと、生かし続けること

「供養って何だろうか」と考えた時に、ぼくは、

亡き人のことを
忘れないこと
思いだすこと
生かし続けること

という答えを持っています。

亡き人は、目に見ることも、肌に触れることのできない存在になってしまった。

でもはっきりとしているその人の記憶、その人への想い、その人の霊魂。これらに意識を向けるための装置が、お仏壇であり、お墓であり、お供え物なのではないでしょうか。

死んでしまったあの人が、お供え物のリンゴを食べるわけがない。

でもそこにリンゴをひとつ置くことによって、亡き人はあなたの中で生き続けることとなるんですね。

それは、あなたの中の…

「まだ生きててほしい」
「身体は消えても、霊魂となってわたしのそばにいてくれている」
「亡くなったあとも、あなたと私はつながっているよね」

…という、亡き人への想いの発露です。

この亡き人への欲求って、もう本能レベル、細胞レベルのものですから、なかなか説明がつかない感情なのですが、でも人間ってそういう生き物ではないでしょうか。

愛の反対は無関心である

…と語ったのはマザー・テレサですが、これを言い換えるならば「愛とは関心を持つことである」と言えます。

贈り物は、まさに「何を贈ったら喜ぶかな」という愛(=関心)があふれる営みです。

おんなじように、お供え物も、亡き人への愛があふれる営みです。

その愛を示し続けることが、亡き人への供養そのものです。

「ふと」を大切に

だからといって、お供え物に時間や費用をかけましょう、と言っているわけではないんです。そこまで神経質にならなくても大丈夫です。

あなたの中の、たったわずかな時間やお金を、亡き人に手向けるだけで、充分です。

お母さんが家族に対して…

「今日のごはんは、大好物のカレーだよ」
「あなたが好きなアンパン、買ってきたよ」

…と語りかけるのと同じように、気軽にお供え物を選んであげるだけで、亡き人は喜んでくれます。

きっと大切なのは、ふとした亡き人への想いです。

スーパーで買い物してる時、目に飛び込んだものを見てふと、

「これ好きだったから、お供えしてあげようかな」

…と思いだすその瞬間、お互いの想いは通じ合いますから。

その「ふと」を大事にしてみて下さい。

最後に…。

お供えしたものは、ある程度時間が経ったら、下げて、食べてあげてくださいね。

同じものを食べる。これこそが相手と仲良くなる一番の方法です。そこのところは、生者も、死者も、変わりありませんから。


仏壇カタルシスとは…

仏壇店に勤務するライター・玉川将人が、
インド仏教最高指導者・佐々井秀嶺師からの…

あなたが仏壇の本を書きなさい。
ここにいる人たちの力を借りて
ここにいる人たちのために
本を書きなさい。

…という宿題を成しとげるべく、仏壇にまつわるお話を語っていきます。
あなたの力を貸して下さい。あなたのためのことばを綴ります。

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