母と観音さまとわたし|ぼくの声はユニゾン#5

ぼくの声はユニゾン。2月18日は母の命日。観音さまの縁日。

「いいね」しかないことのやるせなさと救い

大切な人を亡くして
闇落ちしているあなた。

顔で笑っても
心で泣いているあなた。

ぼくたちをあたたかく包み込む冬の日差しをも
突き刺す痛みに感じてしまうあなた。

そんなあなたに
投げかけることばが
見つからない。

Xで
匿名アカで
苦しい胸の内を吐露するあなたに
「いいね」でしか応えられないことの
もどかしさ。

分かるよ。
寄り添うよ。
なんでも言ってね、力になるよ。

こうしたことばのひとつひとつが
ウソっぽく思えてしまうことの
無力さ。

あなたの力になりたいと思っても
あなたの力になれないことの
やるせなさ。

でも、だからこそ、Xに
「いいね」しかないことが
救いになる、とも思えてしまう。

他のどんなことばやリアクションも
ウソっぽくなってしまうなら
いっそのこと
「いいね」だけにすべてを束ねて
あなたに届けた方が
潔いのかもしれない。

その「いいね」が
「いいね」なのか
「超いいね」なのか
「大切だね」なのか
「悲しいね」なのか
分からなくたって
あなたが想うままに
ぼくの「いいね」を受け止めてもらうのが
いまのあなたへの
せめてもの誠実な態度なのかもと
自らに言い聞かせています。

あなたにとっての大切な人との死別が
「いいね」であるはずがない。
でも、「いいね」をつけることが
「あなたのことを忘れてないよ」
「あなたのことを気にしているよ」
…を示す、唯一の手段なんです。

コメントも、DMも、電話も
できなくはない。
でもそこで
一体、何を語るべきなのだろうか
と、逡巡してしまうぼくは
本当に、心が弱い生き物だと
情けないばかりです。

観音さまの「いいね」

2月18日。
今日は母の命日です。

風呂に溺れて
望まない死にのみ込まれた母。
仏壇の中にいる母は、
実はぼくと溶け合って、
ぼくの中にもいてくれています。

そして、毎月18日は
観音さまの縁日でもあります。

観音さまとは、
音(=声)を観ることのできる仏さま。
余計なことばを挟まずに、
ひたすらこちらの声に耳を傾けて下さる仏さま。

2004年2月18日。
突然この世界を旅立った母は
その瞬間から、
20年経った今に至るまで
わたしの中で元気に存在してくれています。

肉体こそ失ったものの、
母の魂は、ぼくの肉体の中で
いつもニコニコしてくれています。

ぼくの中からとめどなくあふれ出る
いろんなことばを
まるで観音さまのように
受け止めてくれています。

あれから20年。
ぼくもそれなりに大人になりました。
すると、いつもぼくのことばを
ただただニコニコと
受け止めてくれている母が、
珍しくこう言ったのです。

その感覚、独り占めにしちゃいけん。
まわりの人にも、分け与えるんよ。

Xで、匿名アカで、
だれにも言えない心の内を
ポストするあなた。
昨日と同じように
今日も、明日も、
ポストしても大丈夫です。

いまのぼくがあなたにできることは
あなたのポストに「いいね」するだけ。

しょうもない利他かもしれないけれど
観音さまのような
広い心を持って
亡き母と一緒に
あなたの声を、受け止めます。

母と、観音さまと、わたし。
ぼくたちは、切れ目なく、ひとつとなって
あなたの声を、受け止めます。
あなたのそばに、いつもいます。



ぼくの声はユニゾン

ぼくの中には、亡き父、母、兄、祖父母、たくさんの死者やご先祖さまがいます。
ぼくの放つ声は、亡き人たちの声が重なり合うユニゾンです。
キーボードを叩くぼくの指先にも、死者や先祖の存在を感じます。
そんなぼくが、佐々井秀嶺師からいただいたこのことばを寄る辺にして、
日々感じたこと、考えたことを綴ります。

あなたが本を書きなさい。
ここにいる人たちの力を借りて
ここにいる人たちのために
本を書きなさい。

あなたの力を借りて、あなたのために、ことばを綴ります。

今日という日が、あなたにとってよい日となりますように。
そして、ここに綴ったことばの一つひとつが、
あなたの幸せのお役に立てますように。


コメント

タイトルとURLをコピーしました