愛する人がいない世界は
想像を絶する地獄です
こんにちは。とむらいマンです。
一昨日の甚大な台風の次は、北海道の大地震です。
この国に住んでいる限り、台風と地震は避けられない災害ですが、
1人でも多くの無事をお祈り申し上げます。
いま私が読んでいる本が、奥野修司さんの『魂でもいいからそばにいて』。
まさかこのタイミングで大地震が起きるなんて。
東日本大震災のあとに、被災地で頻発した霊体験を聞きに、東北の人々を訪ね歩くというもの。
まだまだ読んでいる途中なのですが、
大事な人を失った人は、みんななんらかの霊体験をしている。
夢の中で亡き人と会話したり、体の周りに青い玉が浮かんでいたり、
それは自分一人の体験ではなく、その場にいる複数の人が同じ体験をしている。
信じない人には分からない話かもしれないけれど、僕にはよく分かる。
僕は22歳の年に、祖父を失い、母を失い、兄を失いました。
祖父は寿命、母は急性心筋梗塞、兄は自殺でした。
そして、2年後に父が自殺し、その2年後に96歳の祖母が静かに息を引き取りました。
僕は、亡くなった家族と毎日会話してます。
言葉で、皮膚感覚で、会話してるんです。
会話というか、コミュニケーションね。
僕は本当に、運がいいことに、ありがたいことに、
家族の死別を上手く乗り越えられた。
でも、母の死を受けとめられずに、兄は自殺したし、
妻と息子の自殺を受けとめられずに、父も自殺した。
なんてことない、何の予兆のない朝、昼、夜。
不吉な電話というのは、突然鳴る。
自然災害であれ、病気であれ、自殺であれ、死別は辛い。
でも、死はいつやって来るか分からない。
これはもう、イヤというほど体験させられた。
母も、昨日まで元気だった。
なぜ急に死んだのだろうか。
兄も、父も、自らを殺めた。
どうして周りが気づいてやれなかったのだろうか。
その「なぜ」や「どうして」がしこりとなり、ストレスとなり、
残された僕たちを息苦しくさせる。
でも、死はいつか必ずやって来る。
生きている限り、だれかを見送り、その死を受けとめなければならない。
本当に、いまを一生懸命生きるしかないんよ。
後悔している場合はないし、悩んでいる場合でもない。
明日は本当に不確かで、未来ってのは約束されてなんかない。
死んだ人みんな背負って、行きつくとこまで生き切るしかないんです。
それがきっと、弔いであり、供養なのです。
このたびの台風や地震でお亡くなりの方には、心よりご冥福をお祈りいたします。
そして、死者がひとりでも少なくあることを願います。
被災地で生き続けることも、きっと辛い。
でも、死ぬこと、そして愛する人を失うことも、やはり辛いのです。
とむらいマン
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