人はどうして死んでしまった人の行方を考えてしまうのだろう

生きている僕らは 毎日をメッタクソに面白く楽しく優しくもがく義務がある。それが一番の餞だろう。

 

こんにちは。とむらいマンです。

この言葉は、私の友人のブログからです。勝手に拝借しました。

激しく、同意します。

わたしは、大事な人を亡くした経験があります。

わたしのまわりの大事な人、みんなみんな、理不尽な形で亡くなってしまいました。

人はきっと、

死んでしまうと、本当に死んでしまうだけなのだと思うんです。

多分。きっと。

死後の世界とか、そういうのが、本当にあるのかどうかは、分かりません。

でも。

でもですよ。

人って不思議なものでして、

物質的にはもうこの世からいなくなってしまった人たち

そんな死者の行方を考えてしまうんですね。

 

 

「おじいちゃん、いまごろどこにいるのかな?」

「お母さん。いまごろお父さんに会えたかな?」

 

 

とむらいマンは、自身の時もそうでした。

そして私だけでなく、500件の葬儀担当の経験の中でも、

多くのご家族も、こういう会話を交わしていました。

人は、死者の行方を考えずにはいられない生き物なのです。

だからこそ、だからこそ、

宗教が必要なのだと思うんですね。

死後の世界とか、あるんかないんか、

分からないですよ。

でも、世界中のすべての宗教は、

死後の世界があることを前提に、話を進めてます。

死後の世界があるってことにしておく方が、

不安な私たちが、落ち着くんです。

だからこそ、どの宗教も、死後の世界の「物語」を持っている。

物語。つまりは言葉です。

そう。この世は言葉で構成されています。

神の救済も、最後の審判も、閻魔大王も、

みんな、言葉による物語です。

実は死後の世界だけでなく、

この世界の始まり(創世記)も物語じゃないですか。

ノアの箱船だって、イザナギとイザナミだって、

みんな、言葉による物語です。

でも、だからって、

物語(フィクション)=ウソ。って訳じゃありません。

だって、みんな

フィクションにお金払いますやん。

ドラゴンボール全巻揃えますやん。

死後の世界も、ドラゴンボールも、物語です。

その物語ありきで、世界は、人の心は、経済は、動いている。

100万円の仏壇買う人。

1000万円のお墓を建てる人。

とむらいマンだって、そうした人たちのお金の支払いで、

妻や子を養ってるんだもん。

言葉による物語だからって、実在しないって切り捨てられないですよね。

 

うーん。話が脱線ぎみ。

 

とどのつまりですね。

Q「人はどうして死んでしまった人の行方を考えてしまうのだろう」

A「そういう生き物だから」

こうとしか、言いきれないのです。

人間って、そういう生き物なのです。

 

とむらいマン

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