お盆という素朴な弔いの光景が、僕は好き

祈る。飲む。食べる。踊る。笑う。

弔いってのは、そんなものです。

 

こんにちは。とむらいマンです。

今日は令和元年8月15日。

お盆の送り火でもあり、終戦記念日でもあります。

仏壇屋さんにお盆は休みはないですからね、

昨日、14日。

僕は仏間の上に飾る「御簾」の採寸にお客さんのところに出向きました。

約束の午後1時。自宅に伺うとなんと大勢がガレージでバーベキューをしてる!

「明日台風来るから、急遽今日みんなで集まって、バーベキューですわ!」

僕は、こういう素朴な弔いの姿が、とっても好きなんですよ。

弔いの語源は「訪ひ」。つまり、会いに行くことです。

生者が死者に会いに行く。

そして、死者を中心に生者同士が一カ所に集まる。

それが「弔い」の根っこにあることだと思うんですよ。

んで、みんなで亡き人やご先祖様に手を合わせて、

んで、わーっと飲んで、ばーっと食べて、だだだっと踊って、わははっと笑う。

祈る。飲む。食べる。踊る。笑う。

弔いってのは、そんなものです。

そんで、その場に、目には見えないけれど、亡きご先祖さまが、一緒にいる。

この一緒にいる感じ。これが大事なの。

目の前にいないから、いるかいないかなんて、分からないですよ。

根拠なんてない。ないけど、でもいる。一緒にいる。

こう思えることが幸せなんです。

いるかいないか分からないけれど、いるってことにしようよ。

これでも充分いいと思う。あはははは。

だって実際に僕たちは、

両親から、祖父母から、

そっから先は顔も名前も知らないけど間違いなくこの地球上に生きた男女の交わりの連続から(それを「ご先祖様」って言うんだぜ)、

僕たちは生まれているわけです。

ご先祖様を感じて祈って一緒にいるってのは、

そうした命の連続を感じるってことなんですよ。

「お寺にお参りなんて行かないけど、お墓にはお参りに行く」

「宗教とかよくわかんないけど、死んだ両親にはきちんと手を合わせておきたい」

こう思う人もいるでしょう。ぜんぜんOKです!

弔いは、とっても素朴で、楽しいものです。

今年もお盆が終わります。

あいにくの台風だったけど、

みなさんは、どんなお盆を迎えられましたでしょうか?

たらふく食べて、たらふく飲んだ。

楽しかったぜ、ご先祖様。

ありがとう。また来年!

 

とむらいマン

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