友引に葬儀をしたある家族の話|ぼくの声はユニゾン#16

葬儀のタブーのひとつに、友引があります。

「友引に葬儀をすると、友が冥土に引き寄せられる」
「友引に葬儀をすると、まわりの人も共に亡くなってしまう」

友引の根拠は分かりません。しかし多くの人は頭では俗信だと思いつつも、「でも万が一のことが起きたらイヤだもんな」と、友引の葬儀を避けます。

事実、友引を休業日とする火葬場もあり、僧侶や葬儀社にとってはつかの間の休日だったりします。

では、実際に友引に葬儀をしたらどうなるのでしょうか。サンプルを集めた統計データはありませんが、友引に葬儀を実施したある家族の話をしたいと思います。

そのある家族とは、わが家です。

友引に葬儀をしたわが家

前回のブログ『肚の底から噴き出る涙』で、母の通夜の時の心情をつづりました。僧侶の読経がトリガーとなって、肚の底にある阿頼耶識が刺激され、涙が止まらなかったという話。詳しくはこちらを読んで頂きたい。

肚の底から噴き出る涙|ぼくの声はユニゾン#15
ぼくは母の通夜でずっと泣いていた。それはもう、まわりが引くくらいに。 でもそれは、寂しいとか、悲しいとか、そういった次元ものではなかった。 肚の奥底が震えて、それが涙となって目から噴き出した、そんな感じだった。 そしてそのread more...

ぼくは、毎週ブログを書いていますが、できあがった記事を必ず兄に読んでもらっています。

前回のブログを兄に送ると、こんな返信が帰ってきました。ぼくの記憶から消えてなくなっていた当時の情景が、兄からのLINEをきっかけにありありと思い出されたのです。

そうなのです。ぼくたち家族は祖父の葬儀を友引の日に実施してしまい、その四十九日が済まないうちに、次は母が急死したのでした。

父も、兄も激しくうろたえ、「じいちゃんが、母ちゃんを、引っ張ったんじゃ」と、母の急死の原因を友引と結びつけました。それくらいに、昨日まで元気だった母の急死を受け入れることは困難だったのです。

京都に住んでいたぼくは、遅れて家族のもとにたどり着いたため、それまでに父や兄たちがどのように僧侶や葬儀社と話をしたのかよく知りません。兄からのLINEは次のように続きます。

■は、長男の名前

兄たちは僧侶に突っかかっていた。その事実を、ぼくはこのLINEではじめて知ることとなります。

それらを踏まえると、副住職の感動的な姿勢も、ぼくたち家族への申し訳なさがあったからなのかもしれません。ぼくは前回のブログで、副住職を次のように讃えました。

その語り口は、まるで一つ一つの言葉をかみしめるかのような重みがあり、悲しみや戸惑いで揺れるぼくたちの心をしっかりと受け止めるようだった。彼の目はまっすぐにぼくたちを見据えており、目じりのやさしい曲線がその人柄を表しているようだったが、その奥には誠実で鋭い眼差しが宿り、どこか安心感を与えるものがあった。

肚の底から噴き出る涙|ぼくの声はユニゾン#15

しかし実際のところ、「一つ一つの言葉をかみしめるかのような重み」や「鋭い眼差し」は、副住職なりの肩身の狭さや緊張感の表れだったのかもしれません。

人の記憶はあてにならない

こうしてつくづく思わされるのは「人の記憶は、あてにならないな」ということです。

ぼくは母との死別をポジティブに受け止めていただけに、重苦しくのしかかる当時の雰囲気が、記憶の中からすっぽり消えてなくなっていたのだと思います。

でも兄は、友引に葬儀をしてしまったこと、友引と母の死の因果に憤ったこと、憎しみの感情のまま葬儀に臨んでしまったことを、いまでも後悔しています。

血を分けた兄弟ですら、母の死の受け止め方は三者三様だったのです。

三男のぼくは母の死をポジティブに受け止められたものの、長男の兄はその事実を受け止めきれずに、半年後に自ら命を絶ちます。そして次男の兄は、その時のことを一番冷静に見つめ、覚えている。

ぼくは、「ぼくの声はユニゾンだ」なんて言ってますが、それがすべての人にあてはまるかだなんて、とても言い切れない。血を分けた兄弟ですら、こうなのですから。

友引の葬儀の是非

さて、ここからは友引の葬儀の是非について考えてみたいと思います。

2004年。わが家には3度の死が訪れました。1月に祖父が、2月に母が、9月に兄が、旅立ちました。さらにその2年後には父が自死し、その2年後には祖母が息を引き取ります。

ここまで葬儀が連続すると、祖父の葬儀がトリガーだったと思わずにはいられません。

でも一方で、「友引の日の葬儀は問題ない」という主張はあちこちで見られます。

祖父の葬儀の時ですら、僧侶はぼくたちの問いに対して、「友引の日に葬儀をしても大丈夫」と答えたわけです。

「友引 葬儀」でネット検索してみても、たくさんの葬儀社が「友引の葬儀は問題ない」といった記事を配信しています。

友引とは「六曜」という暦注(暦や日の吉凶を占うもの)のひとつですが、たとえばあのお釈迦さまは、占いに傾倒することを戒めています。

「瑞兆の占い、天変地異の占い、夢占い、相の占いを完全にやめ、吉凶の判断をともにすてた修行者は、正しく世の中を遍歴するであろう。」

(スッタニパータ)

また、日本を代表する仏教者である親鸞も同じです。

吉日良辰をえらび占相祭祀をこのむものなり。これは外道なり。

【訳】吉日や良い時を選び、占いや祭りごとを好むのは、真理に外れた考え方だ。

(一念多念証文)

かなしきかなや道俗の良時吉日えらばしめ
天神地祇をあがめつつ卜占祭祀つとめとす

【訳】悲しいなあ。仏道に生きる者も世俗の人も、良い時期や吉日を選び、
天の神や地の神を崇めながら、占いや祭祀に励んでいるとは。

(悲歎述懐和讃)

ぼく自身は、家族の死別と友引を結びつけて考えたことは一度もなく、むしろ「人は必ず死ぬのであり、それがわが家の場合、たまたま時期が重なっただけ」と受け止めています。

でも、そう割り切って考えられない人もたくさんいます。兄とぼく、同じ家族ですら受け止め方は全然異なるのですから。

人間の力でどうしようもできないこと、受け止めようにも受け止めきれないことが起きた時、人は超常的なものと絡めて考えたくなるものです。「これは死神の仕業だ」や「バチがあたったか」など。

暦でその日の吉凶を占い、因果を結びつけるのは科学的態度ではないのかもしれません。でも、「友引の葬儀は不吉だ」という社会的コンセンサスが力となって、現実社会に影響を及ぼしていく現象は、あって然りだとも思います。

思考は現実化する、ということも、あると思うのです。

気になることは避けるべし

ぼくはその後、葬儀、仏壇、墓石の仕事を通じて、数えきれないほどの弔いの現場に接してきました。

不慣れな葬儀、不慣れな供養の真っ只中で、何をどのように考えるべきか迷っているお客様に、ぼくは必ずこうお伝えしています。

「気になることは、避けておきましょう」

友引の葬儀、北向きの仏壇、お墓での写真撮影などなど、葬儀や供養の現場でNGとされることはヤマほどあります。(ちなみにぼくはここに挙げた3つはなんら問題ないと思っています)。

でも大事なのは、こうした行為が世間的にNGとされているかどうかよりも、あなたの心がどう感じるか、どう受け止めるか、気になるかならないか、を見つめることではないでしょうか。

少しでも「気になる!」と思ってしまったのなら、それは避けておくべきです。

あとから…

「あの時、ああしとけばよかった」
「あの時、こうしなきゃよかった」

…と、後悔するのが一番つらいものです。

後悔の種はつぶしておくに越したことはなく、その時選択できるベストまたはベターを実践できるのが理想です。

友引の迷信にエビデンスはありませんし、因果関係は不明です。

でもわが家の場合、本当にその1か月後、半年後、2年後、4年後、立て続けに家族が亡くなっていきました。その事実は拭えません。

でもやっぱり、ぼくはその原因を友引に結びつけることはありません。

だって、人は必ず死ぬから。

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