死んでしまった人に枕経を読み上げたって遅いじゃないか!

こんにちは。とむらいマンです。

みなさん、枕経(まくらきょう)というものをご存知ですか?

亡くなった人にいち早く読み上げるお経のことです。

臨終を迎えると、

遺体は自宅や葬儀社の施設などに運ばれて安置されるのですが、

安置場所にお寺さんが駆けつけて、

何よりも早く死者供養のために読みあえるお経が、枕経です。

通夜や葬儀のことを決める前に、

まずはお寺さんに飛んで来てもらって、枕経を読み上げてもらうのです。

最近では、この枕経をすることも少なくなりました。

地域性にもよるのでしょうが、

枕経を読み上げてもらうというのは、

丁寧に、手厚く死者を送り出すことでもあります。

しかし、ですね、本来の枕経から考えますと、

これでも物足りないのです。

どういうことかと言いますと、

枕経とは本来、これから亡くなっていく人の不安をなくすためのお経なのです。

ですから、死んでしまったあとの枕経では意味がない。

死人に口なしとは言いますが、まさに死人に耳なし。

遺族の慰めにはなるものの、死者の安寧になるかどうかは疑問。

私は死んだことがないので、

死に赴く人の気持ちというのは、本当に分からない。

でもそこで、

誰かが隣に寄り添ってくれている。

しかもそれが、

この世とあの世を橋渡ししてくれるお坊さんで、

なんだかよくわからないけれど、ありがたいお経を読み上げてくれるとなると、

心の不安のいくばくかは軽減されると思うんですね。

キリスト教にも、

塗油式」や「聖体拝領」という、危篤の病者への儀式があります。

神父が死に行く者の告白を聞き、神に罪の許しを乞うのです。

病者の塗油 出典:Wikipedia

現代は、

医療と宗教が切り離されているために、

死の瞬間に宗教者が耳元で語りかけることなど、できないことの方が多いのでしょう。

でも、これこそが、

本来の宗教者の仕事なのではないでしょうか。

普段の作務も、檀家周りも、法事も、寺子屋も、

すべてはこの瞬間に、

安寧をお坊さんに託せるようにするためのもの。

そんな気がするのです。

とまあ、なぜこんなこと書いたかと言うと、

いま、恵心僧都源信の、

『二十五三昧会』についての記事を書いているからです。

真の枕経の原点が、ここにあります。

源信については、また書きます!

とむらいマン

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