こんにちは。とむらいマンです。
よく「”かかりつけ医”を持ちなさい」なんて言いますよね。
私の体のことをよく知ってくれているお医者様。
体調がおかしくなったらすぐに駆け込むお医者様。
大切ですよね。
でも、”セカンドオピニオン”を持ちなさい。とも言います。
2つ目の病院を持っておけ。他の医師の意見も聞いておけ。
ということですね。
「そりゃ大変!すぐに入院しましょうに!」
そういうこともあるでしょう。
お医者様だって人間ですから、
1人の医師が見抜けないこともきっとあるでしょう。
これは仕方ありません。
さあて、翻ってお坊さんです。
十村井は、”かかりつけ寺”を持つことをおススメします。
「なんか心がもやもやするわー」
「なんじゃ死んだ父ちゃんのことがぶち気になるけえ」
「墓守を誰にするか親戚と揉めとんねん!」
こういう悩みのをお持ちの人がですね。
すぐに、こう、ダダダっと駆け込むことのできるお寺があればよい。
と、思うのです。
みなさん、病気のことにはとっても敏感。
しかし、精神のこと、とりわけ死者のことには、とっても鈍感。あとまわし。
だから、お寺の需要がなくなってきている。
(※まあこれにはお寺側の問題もあるので、またいつかゆっくりと)
十村井は、
暮らしの中に死者を取り込むことが、
毎日の生活を豊かに奥深く送ることができる
こう確信しているわけです。
ですから、
心の悩みとか、
死ぬこと考えると怖いとか
生きるって何?とか
死んだあの人が忘れられんとか
そういう悩みを打ち明けられる”かかりつけ寺”を持つことは
とっても大切なことだと思うのです。
だからこそ、声を大にして言いたい。
世のお寺さんたち! ドドン!
そう。しっかりとしてほしいのです。
もちろんしっかりしているお寺様もあります。
そういうお寺にはやっぱりお参りや相談の人がよく訪れています。
お寺様たち。
死後観を語りましょう。
聞く耳持たない人たちばかりのこの時代でも、
人々は”死後の世界”や”死後の物語”を必要としています。
いまのお寺の仕組みというのは、
江戸時代に敷かれた檀家制度を
未だ継承することによって成り立ってます。
つまり、檀家のお寺が”かかりつけ寺”みたいなものでしたが、
これは当時のお上の、そして先祖から与えられた、
強制的なかかりつけ寺なわけです。
だからこそ、セカンドオピニオンを持ちましょう。
自分が見つけた、自分のための”かかりつけ寺”を見つけましょう。
檀家制度はまもなく消滅します。
でも、江戸時代以前だって檀家制度はなかったわけで、
人々は自分たちが信仰したい神仏や寺院に手を合わせていたわけです。
力があるお寺が残る。
あたりまえの現象が、もう、目の前にまで来ているのです。
合掌! では☆
とむらいマン
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