生きることは苦しいけれど、あの子たちとの出会いは喜びでしかない-vol1 ミキさん(39歳・専業主婦)

30代よ 死を語れ。第1回目はミキさんです。

年齢は39歳。専業主婦で2児の母。

身の回りで亡くした大切な人はおばあさんだけというミキさん。ふだんあまり考えることのない「死」について、彼女独特の思考で考え、語っていただきました。

人々はどうして目に見えない天国という世界を思い描くのか、そしてどうして目に見える形でお墓のようなものを作るのか。話は思わぬ形で深いところまでもぐりこんでいきました。

雰囲気のいい喫茶店でモーニングをいただきながらの対話。お楽しみください。

子どもが生まれてから、死が目の前に現れた

とむらいマン(以下:とむ) おはようございます。今日はよろしくお願いいたします。

ミキさん よろしくお願いいたします。

とむ 今日は「死」や「死生観」について話を伺うんですが、まあそんなに肩に力を入れずに、思ったことをそのまま答えてください。普段、死や命について考えたりしますか?

ミキさん 考えないですね。毎日忙しすぎて、そんなヒマがないです。

とむ そうですよね。

ミキさん 大きくなると死ぬこととかあんまり考えなくなっちゃった。子どもたちがちっちゃい時はよく考えてましたけどね。

とむ と言いますと?

ミキさん 赤ちゃんは、目を離した瞬間に死ぬかもしれないですからね。一日中ほっといても、死ぬ。凡ミスが死に直結しますから。

とむ なるほどです。

ミキさん でも、子どもって意外に強いんですけどね。それもいまだからこそ分かります(ミキさんのお子さんは現在11歳と8歳)

とむ ミキさん自身が小さい時に、死んだらどうなっちゃうんだろうとか考えたことは?

ミキさん 小学生の時にはあったかもしれないですけど、そんなに覚えてないなー。でも、中高生と大人に近づくに連れて、学問的な死については、いろいろ考えました。

とむ 学問的な死?

ミキさん 作品に出てくる死ですね。村上春樹さんの『ノルウェイの森』とか。太宰治も、平気で死を扱いますし。そういう作品の死については考えたことあるけれど、自分自身の死について考えたことは、あんまりないですね。

とむ なるほどです。

ミキさん やっぱり子どもが生まれてからですよね、私の中で死が目の前に現れたのは。この子どうなっちゃうんだろう、って。あのころは育児ノイローゼに苦しんでいたんですけど、もしも私が死ぬんだったらこの子を殺してからだと思ってましたよ。

とむ そこまで追い詰められていた?

ミキさん はい。心身ともに苦しい時期があったんですけど。どうしてだろう、子どもだけが残るってのはありえなかったですね。

とむ 30代という世代の人たちって、基本、いまを生きることに必死ですよね。

ミキさん 昨日は確実に今日の延長だと思っていますもんね。いや、そう思ってないと、やってられなくないですか? だって、いまやってるしんどい家事とか子育てが、将来に結びつくんだと思わないと、こんな忙しい日々、やってけないですよ。

とむ 本当に、おっしゃる通り。

ミキさん そういう意味では、1人暮らしの20代の時の方が刹那的でした。死を簡単にもてあそんでました。死というものをオシャレにとらえてましたね。

とむ オシャレというのは?

ミキさん かっこいいものというか、美化するというか。

とむ 自分も、「あ、死んでもいいや」って考えたことはありますか?

ミキさん 「死んでもいいや」というより、「未来がないならいま死んでも同じだよね」とは思ってました。だって未来はいまの延長ですから。いま消えようがあとに消えようが、同じじゃんっていう感じで。いまの延長が延々と死ぬまでくり返されると思ったらさ、いま終わらせてもいいじゃん、という思いはあったかもしれませんね。

とむ それはいつ頃のことですか?

ミキさん 大学生の頃。本当に毎日が平凡で、つまんない日々でしたから。たしかにその頃は、死についていろいろ考えていたかもしれませんね。まあ頭の中だけでのことですけど。

とむ いまがアップダウンもないような平凡な日常だと、そう考えてしまうかもしれませんね。

ミキさん わたしはありがたいことに結婚して、子どもにも恵まれて、毎日しなければならないことが目の前に現れた。でも、結婚したい相手もいなくて、子どももいない。いるのは老いた両親だけとなると、そういう気持ちに襲われないのかなあって思いますね。少なくともあの頃のわたしはそんな感じでした。やりがいとか生きがいとか、生涯かけて打ち込んでるようなものがあればいいですけど、そういうものがない人にとっては、案外、死は近くにあるものなのかもしれませんね。実際に死ぬ、死なないは別問題としても。

文学好きのミキさんにはよく似合う雰囲気のいい喫茶店

天国っていう発想は、うまくできてますよね

とむ ミキさんにとって、一番近い人の死はだれですか?

ミキさん 祖母ですね。それ以外はいないなあ。次やってくるであろう死は、順当にいけば20歳になる黒猫です。

とむ 亡くなったおばあさんはいまごろ、どこで何をされていると思いますか?

ミキさん わからないですね。死ってきっと人それぞれだし、亡くなった人を想うのも人それぞれ。わたしの場合、祖母がいまどこでなにをしているかなんて、わからないです。

とむ はい。

ミキさん でもそう考えてみると、天国っていう発想はうまくできてますよね。天国にいるという発想はどんな人にも寄り添っていると思う。「先祖も天国からあなたたちを見守っている」とか「昨日亡くなった人も今ここにはいないけどきっと天国であなたのことを思っているよ」とか。 なんか、生きるわたしたちにとって都合がいいですね。

とむ 天国という場所はあると思います?

ミキさん うーん。考えたことないですね。

とむ じゃあ、そういう場所があるって、信じてます?

ミキさん わたし自身は信じてないです。でもそういう場所があるってした方が、きっと人間にとって都合がいいんでしょうね。

とむ なるほど。

ミキさん なんでもないただの石に魂が込もってますといってみんなお墓に手を合わす。そこにご先祖様がいるって信じてないとできないですよね。唯物主義者だとただの石に過ぎない。

とむ はい。

ミキさん お葬式だって、「ここにいま魂が」とか言うけど、「いやいやないよ、死んだんだからさ、ここにあるのはただの物質としての死だよ」っていう人は、確実にいますよね。

とむ ミキさん自身は、唯物論者?

ミキさん わたしは……わかんないです。でもいろんな物事へのアプローチは唯物論者であろうとしてます。でないと、もともと感情的な人間だから流されやすいんです。

とむ 感情的なんですか?

ミキさん はい。だから、その感情に対しても、「いやいやちょっと待てよ。一旦止まってじっくり見てみよう」と意識してます。

とむ それはむしろ、戒めとしての唯物論なんですか? 警戒心とでもいうか ?

ミキさん ある程度唯物的に物事を見ようとは心がけていますよ。じゃないと、ふわーっとすぐに感動して流されちゃうんで。

とむ 感動して流されるというのは、その瞬間は快楽だと思うんです。でもそれを止めようとする自分がいるということは、それに流されて失敗したことでもある?

ミキさん どっちかと言うと、疑り深いんです。わたし、文学が好きなような人間ですから。文学ってそうじゃないですか。全てを疑ってかかる営みじゃないですか。

とむ まあ、そうですね。いろんなことを言語化する営みですもんね。

ミキさん わたしはこどばは綴りませんが、文学的な思考回路であろうと努めている人間なんです。じゃないと、損をするとはいわないけれど、傷ついちゃうし、相手を傷つけないようにしよう、なるべく少なくしようと、意識が働いちゃうんです。

とむ 常に多面的に見ようとするんですね。

ミキさん 映画でも、この映画の何がよかったのか、ちゃんと自分で分かってるどうかをいつのまにか考えながら観ちゃうんですよね。

とむ 批評家だなあ。

ミキさん たとえば『君の名は』が流行ってるから観てみた。感動したけど、でもその感動の原因はどこにある? ストーリーはありきたりだぞ。でもアニメーションは抜群にきれいだぞ、とか。ちゃんと自分の中で一旦整理してから、「こうでこうでこうだからこうなんだよ」と、自分の中で解釈します。

とむ 多面的っていうのは、多面の表面を見るんじゃなくて、さまざまな角度からその奥をも見通すことだったりしますよね。それを心がけてるんですね。

ミキさん でもわたしでも失敗します。一度オッケーと思ってしまったものは、けっこう盲目的に信じ込んでしまいます。

とむ どっちやねん(笑)

ミキさん だから、自分自身が信じれないんです。疑っちゃう。そんなわたしが、天国とか、宗教とか、信じれないですよね。

とむ 疑いから入ることのしんどさもありますよね。

ミキさん そうですね。でも直感とか第一印象を信じてるところもあるから。そのへん、よくわかんないです。

「若い時はコーヒーさえあれば生きていけた」と語るミキさん。

お墓は、亡くなった人を忘れてもいいために作られる

とむ おばあさんはどんな方でしたか?

ミキさん 戦争で夫、つまりわたしから見た祖父を亡くし、女手ひとつでわたしの父とその兄弟を育ててきた、とっても気丈な祖母でした。まわりから煙たがれるような肝っ玉ばあちゃんでしたけど、わたしには優しかったです。

とむ どんなところが?

ミキさん 若者にありがちなんですが、わたしも精神を病んで、結構めんどくさいやつだった時期があって、両親も私の手をこまねいてた。みんながわたしを腫れ物に触るように接してきた中で、祖母だけはいつもと変わらない調子でわたしに接してくれましたね。ことばはきついんですけど、ウソがなくて、とにかく優しかった。

とむ おばあさんの死で想ったことは?

ミキさん そのころ長男を産んだばかりで、祖母の分まで幸せにならなきゃって思いましたね。まあ、日常が忙しすぎて忘れがちですけどね。

とむ 目の前のことが忙しくて忘れることって、ありますよね。

ミキさん うん。忘れちゃいます。

とむ お墓参りは?

ミキさん 定期的に行ってますよ。お彼岸とか、お盆とか。お墓参りしていつも思うことがあるんですけど、聞いてもらえます?

とむ どうぞどうぞ。

ミキさん 宗教は根拠がない、形がない、目に見えないものが相手ですよね。

とむ はい。

ミキさん、そこで、あえてお墓という目に見える形を作るのは、亡くなった人を忘れないためでもあるんですけど、一方で、忘れてもいいために作られているんじゃないのかなと、思うんですよ。

とむ ほう。おもしろい!

ミキさん 「普段の生活もものすごく大事だから、忘れてもいいよ。でもここに来る時はわたしたちのこと思い出してね」って、そのためにお墓ってあるんじゃないのかなーって、いつも思うんです。

とむ すごく同感です。よく「大事なのは故人や先祖を想う気持ちだ」って言いますけど、その「気持ち」って、僕たちが思っているほどしっかりしてなくて、結構ふわふわしますよね。

ミキさん そう思います。その論理でいくと、亡くなった人のことを忘れない人はお墓参りなんてしなくていいんです。「忘れててごめんね」ですよ、たいがい。でも忘れるって、そんなに悪いことなんでしょうか?

とむ いや、悪いことじゃないと思いますよ。お墓ってきっと、忘れないためのものでもあるし、忘れてもいいためのものでもある。

ミキさん いろんな死があるので、ひとくくりにはできない。ものすごく辛い死があって、その人のことを1日たりとも、1秒たりとも忘れることができずに苦しんでいる人もきっといると思います。でもいつかは、いい意味で亡くなった人への執着から離れられて、適度に忘れてたまに思い出す、くらいが、きっといいんじゃないのかなって。

とむ 亡き人の死を受け入れるというのは、きっとそういう状態なのかもしれませんね。

ミキさん 先祖代々の罪をずーーっと背負って、供養をずーーっとしなきゃいけないってなると、人間きっと生きていけないですよね。

とむ なるほどです。

ミキさん 「この人はあんな罪を犯した人なんだ」「このご先祖様はこんなことをした人なんだ」というのを、延々その人のやってしまったことを子孫が償っていくって、無理じゃないですか。せいぜいお父さんお母さんくらいですよね、子どもが背負えるのは。お父さんお母さんの何かを背負うだけでもしんどいというのに。

とむ いやいや。本当にそうですよ。だからきっと、いいとこどりすればいいんですよ。お父さんお母さんの遺してくれた財産とかはいただいて……

ミキさん あはははは

とむ でもよく考えてみるとそれでいいのかもしれませんね。僕たちが幸せに生きていくためには。お父さんお母さんがくれたこの体は大事にするけど……

ミキさん はい。

とむ でも、お父さんお母さんのした悪いことは、「まあ、いいじゃん!」ってできるのが理想かもしれないですね。

ミキさん 忘れてもいいよねっていう赦しがあるのがいいですね。そういう懐の深さと言いますか。わたしなら子どもたちに、「忘れないで」って言わずに「普段は忘れててもいいよ」って、言うかもしれないですね。「あんたたちはやるべきことをがんばり! たまにお母さんに元気な顔見せてくれたらいいから」って。

とむ いきなりですけど、メモを書く理由って2つあるっていうんですけど、わかります?

ミキさん この文脈だと、「忘れないためと忘れるため」でしょ!

とむ 正解!その通り。でもそれはですね、忘れた時に、パって、すぐに立ち戻れる場所があるってことなんですよね。

ミキさん ずっと覚えてなくていいってことですね。あはは、「お墓はメモ」

とむ お墓はメモ。メモの魔力(笑) でもお墓のことを「メモリアルパーク」なんて言うから、メモリーなんですよ。大事なのは。

ミキさん それは気楽でいいですね。「普段忘れててごめんなさい。でもわたしたち元気にやってるよ。ご先祖さんたちは?」って感じ。それでいいのならすごく気が楽で。お墓参りも楽しくなります。

とむ 僕たちは間違いなく両親や先祖がいて、いまここに生きている。でもその根拠というかルーツを、たまに振り返るくらいで十分なんですよね。

ミキさん あとは、やましい時とかね(笑)

とむ あはははは

ミキさん そういう風に、言葉は悪いですが、都合良く向き合えばいいように思います。

とむ はい。すべてのものは人間の都合に合わせて、もっと突っ込んで言うならば、人間が少しでも幸せになるために作られているわけですもんね。この机も、コーヒーも、喫茶店も、家も、車も、お墓も。お墓に人間を合わすんじゃなくて、人間が都合よく生きていけるためにいろんなものが作られているんですよね。

ミキさん 「結婚してもいいですかー」って勝手にお墓に聞きに行くじゃないですか、ご先祖様のお墓に。んで、都合よく「OKもらった」って帰ってくるじゃないですか。あの感じですよね。

とむ あはははは

ミキさん だから、普段は死とか天国とか考えない。考えられないですよ。忙しすぎて。

生は苦しみ でもあの子たちを生んでよかった

とむ 最後に、ひとつ質問をさせてください。仏教では4つの苦しみがあるとしています。「生老病死」。この中でどれがいちばんイヤですか?

ミキさん うーーん。生まれなかったらあと全部ないですもんね。

とむ なるほど。するどい。

ミキさん あとの3つは生まれたあとのことだから、優劣つけられないです。

とむ 仏教は輪廻からの解脱を目指します。輪廻とは生まれ変わることです。

ミキさん うん

とむ 生まれると、また苦しまないといけない。生まれること自体が苦しみだから。そして、生まれてしまったら、老病死というさらなる苦しみが待っている。だから仏教ではこの世で修行を積んで、来世に生まれ変わらずに、「ばーん」って吹っ飛ぶように悟りの世界に行というのを目指しています。

ミキさん へー。生まれないようにしないといけませんね。

とむ 言われてみると、生まれることも苦しみですよね。

ミキさん でも、生む方も苦しいですけどね。

とむ そうか、そうですよね。

ミキさん うん。苦しいですね。でも、わたしはやっぱり子どもを生んでよかったと思います。あの子たちに会えて、心からよかったと思っています。生まれることも、生むことも、生きることも苦しいですが、あの子たちとの出会いは、喜びでしかないですね。

とむ そこは疑いなく?

ミキさん はい。疑っても、それをひっくり返すくらいに、喜びですよ。

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