大事な家族が大事にしてたから-vol4 智子さん(37歳・WEB制作)

『30代よ 死を語れ!』第4回目は智子さん(37)です。

親戚づきあいがあまりなく、葬儀や法事などの弔いの経験がほとんどなく育ってきたという智子さん。それでも縁あって供養業界に飛び込んで10数年。WEBやチラシの作成などを手がける中で、自分なりの死生観が芽生えてきたようです。その想いを形にすべく思考をめぐらせ、ひとことひとことを丁寧に紡ぎだすそのことばの中に見られる、30代の真摯な死生観との向き合い方をごらんください。

お葬式の異様な雰囲気はよく覚えています

とむらいマン(以下:とむ) 死や死生観についてインタビューされると聞いて、まずは何を思いましたか?

智子さん 人によっては話したくないテーマかもしれませんが、私は特に抵抗はありませんでした。

とむ ふだんから死について考えますか?

智子さん 人並みですかね。まだ大きな病気もしてませんし、寿命で死ぬ年齢じゃないし、具体的なイメージが持ててない分、こわいとか、そういう気持ちにもならないですね。

とむ 大切な人を亡くした経験は?

智子さん 小学生の時に母方の祖母を。そして、いまはもう離婚してしまったのですが、義理の父を数年前に亡くしました。

とむ そうした死別の経験によって、なにかを考えたり、感じたり、というようなことはありましたか?

智子さん 祖母が亡くなったときは、非日常がいきなりやってきた、という感じでした。小学校の低学年の時ですから、状況を飲み込めずに、「おばあちゃんが死んじゃった」という事実だけが目の前にあるだけで、理解が追いついてなかったです。ただ、お葬式の異様な雰囲気はよく覚えています。

とむ おばあさんとは仲はよかったんですか?

智子さん はい。わりと近所にいて、よく遊びに行ってました。

とむ どんなおばあさんでしたか?

智子さん 優しくて、明るくて、いつもにこにこしてました。でも亡くなる前は笑顔が一切なくなってしまった。私も子どもだったのではっきり覚えていないんですが、おそらくボケとか鬱とかが出てきていて、家族のこともよく分からない状態でした。「なんでおばあちゃんこうなっちゃったんだろう」と理解できないまま、亡くなってしまった。悲しいという気持ちが真っ先には出てこなかったです。

とむ 「お葬式の異様な雰囲気はよく覚えている」とのことですが、その異様な感じをもう少し詳しく教えてもらえますか?

智子さん 葬儀の経験もはじめてで、両親の泣いてる姿も見たことなかった。悲しいというよりはびっくり。弔うとか悲しむとか、そんな感じではなかったです。また親戚づきあいが本当にない家で、祖母の葬儀以外は、大人になるまでお墓参りや法事の機会がなかったほどですから、なおさらびっくりして、異様に映ったのだと思います。

とむ おばあさん以外の親戚の方はどうされていますか?

智子さん 祖父は戦争で亡くなっているんです。そして、父方の祖父母ですが、両親が離婚してしまったので、そちらとは交流がなかったです。

暮らしの中で大切なものの写真を3点ご用意してくれました。「毎日でなくとも、お気に入りの器と食材で、心身に滋養をとるゆったりとした時間を持つことを大切にしています」と智子さん。

大事な家族が大事にしてたから

とむ 家族や親戚づきあいの少ない環境で育った智子さんが、まさに家族のつながりの象徴のようなお墓という業界に飛び込んだ。きっかけは?

智子さん もともとは、広告や集客に興味があって。高校を卒業した後は音楽関係の仕事をしていて、そこからフリーターやフリーランスとしてWEBやチラシのデザインをしてました。そろそろ腰を据えて正社員になろうかなと思った時に、たまたまとある石材店とご縁があって、入社したんです。デザイナーとして、HPのリニューアルからWEB関連の業務を任されました。

とむ いま、お墓離れが進んでいると巷では言われてますが、埋葬文化がしっかりしている方が、きっと社会全体が強いというか、しなやかだという確信が僕の中にもあります。

智子さん ええ。同感ですね。

とむ 歴史、伝統、死者やご先祖さまを大事にする社会の方が強い。智子さんもそう思いますか?

智子さん はい。供養の大切さが根付いている方が、人のことも大切にできるし、優しい社会になるような気がします。

とむ 仏事や供養とご縁がない人生を歩んだという智子さんが、この業界に入ったことで供養を大事にする方がいいと考える。とても興味深いです。なぜ大事だと思うんですか?

智子さん 供養ってきっと家それぞれで違うと思うんです。でも「仏教がどうだ~」「しきたりはこうだ~」と、ちゃんと分かってやっている人は多分少なくて、自分の両親や家族の背中をどれだけ見てきたか、だと思うんですよね。

とむ 家族の背中。

智子さん はい。仏教を信じているから。しきたりだから。という人ももちろんいると思いますが、それよりかは、大事な家族が大事にしてたから、というのがより大きいんじゃないのかな。最近、永代供養に関心を持つ人が多いのですが、私はこの傾向を不安に思っています。

とむ なぜですか?

智子さん 「子に迷惑かけたくないから」「私の骨は海に撒いて」という中高年のが多くて、そういう事情や気持ちもわかるけど、一度供養をしなくていいという世代ができてしまうと、その両親や祖父母の背中を見て育つ次の世代、その次の世代たちとの間にできるはずのつながりって、きちんとつながるのだろうかと、気になっています。

とむ 供養を軽視する世代が一度でもあると、そこに分断が生まれちゃうということですよね。

智子さん そうなんですよね。もう少し、自分目線じゃなくて、周りの人目線を考えてもいいんじゃないかなあと。

とむ 「自分らしい葬儀」とかいって、自分の最後を自分でプロデュースするのがよしとされている時代ですもんね。

智子さん 私のような独り身であればいいんでしょうが、家族がいる人は、自分目線だけじゃなくて、もっと広い視野で考えてほしいですね。供養をするのは周りの人たちですから、残された家族にとっての心の拠り所になったり、気持ちの踏ん切りをつけるための場所でもあるのかな?

とむ はい。

智子さん 手間のかからないお墓が人気ですけど、それって本当に正解なんでしょうか。うーん。自分目線に捉われずに決めてもらいたいなあと思いますね。

とむ 智子さんにとって「後悔のないお墓」ってどんなものでしょうか?

智子さん ご本人も周りの方も納得がいくものですけど、どちらかというと遺された方にとって、亡くなった方との縁が続くような場所でありつづけることですね。お墓って、最初のうちは悲しみを克服するとか、日常から切り離しすという役割があると思います。でもやがては「会う場所」になっていくものだと、思います。

飼い猫は、「もはや、なくてはならない存在」

そこにおじいちゃんがいる感じ

とむ 智子さん自身は、お墓参りはされるんですか?

智子さん これまでの話と矛盾しますが、お墓は遠方にあって、ほとんど行ってないですね(笑)幼少期は祖母の家に仏壇があったので、遊びにいくたびに一緒に手を合わせていたました。「ここにおじいちゃんがいるよ」って感じで、ごあいさつして。

とむ そこは異様でしたか?

智子さん いや。異様じゃないですよ。「おじいちゃんにごあいさつをする場所」って感じで、あんまり死を連想させるような暗いところじゃなかったです。

とむ おじいさんは、智子さんが生まれた時には亡くなってた?

智子さん はい。戦死しています。

とむ でも、そこにおじいさんの存在を感じたんですね。

智子さん きっとね、祖母が「ここにいるよ」と言うから、祖父がそこにいるんです。祖母が手を合わすから孫の私も無邪気に手を合わす感じだったんですよね。祖母が大事にしているモノなんだなというのがすごく伝わってきたので…。

とむ おばあさんのお墓は遠方にあるとのことですが、お仏壇は実家にある?

智子さん 母の住む家にあります。ただ、仏壇というほどのものではなくて、ほんとうにちょっとした位牌と、お線香を立てるくらいものがあります。

とむ 帰省したときは、位牌と線香に手を合わす?

智子さん 合わせますね。

とむ おばあさんはそこにいますか?

智子さん うーん。いるとは、思ってないですけど、手を合わせるのはやっぱりごあいさつをしている感覚ですよ。「帰ってきましたよ」的な。

母のお墓は、どうしようかな

とむ 智子さんは、一度結婚して、離婚をされている。お子さんは?

智子さん いないです。

とむ お母さんも離婚されてる?

智子さん そうです。東京で兄と二人で暮らしています。 

とむ お兄さんも独身?

智子さん そうなんです。

とむ 智子さんは37歳。お母さんは?

智子さん 67歳です。

とむ お元気にされていますか?

智子さん 元気ですよ。大きな病気もなく。

とむ そろそろ終活について考えてもいい時期だと思うのですが、終活を始めていますか?

智子さん 具体的なことはしていないですね。お墓は適当でいいって、母自身は言ってました。本人が親戚付き合いが好きじゃなくて、上手くいかなかったりしたこともあって、お墓を建てることで私たちにそういう思いをさせたくないという気持ちが強いみたいです。

とむ それに対して智子さんはどう思います。

智子さん うーん、難しいですねえ。まあ、本人がしたいようにしてあげたいっていうのも思いつつ、なんか、それなりにしっかりした形をとりたいなあという気持ちもあります。

とむ 周りの人目線もわかってほしいけど、お母さんの自分目線も大切にしてあげたい。そう思っちゃいますよね?

智子さん そうなんです。

とむ お兄さんも交えて、終活とまではいかなくても、いざという時の話をしますか?

智子さん これまでまだないですね。私もそろそろどう思っているのかなあと気になって、たしかこの年末年始に帰省した時に聞こう聞こうとしてたんですが、話のきっかけがつかめず帰ってきてしまいました。

初日の出を拝んだ時の写真。「家に仏壇も神棚もなく、日常の中に祈る機会は多くないです」と智子さん。「たまに参拝する際には、未来のことや周りの人々のことなど、視座が広がります」

死生学カフェで学んだこと 年をとっても「死」なんて分からない

とむ 難しいですよね。遺された人の想いも大事だし、亡くなった人の想いも尊重したいし。自分目線、周りの人目線と言われてたけど、でも、自分の親を目の当たりにしたとき、なかなかそうとばかり言えない。それぞれの家の事情もあるし。

智子さん 仕事柄、「終活は元気なうちからした方がいいですよ」とはいうものの、子ども側からすると、親が死んじゃうことを想像して語れるのかな。お母さんの好きなようにしたらいいじゃん、してあげるよって言っちゃいそう。実際に親を亡くすと考え方も変わるかもしれませんが、元気なうちから死を想像して考えるのは、案外難しいなと思いますね。

とむ WEB制作って、自分は表に出ない裏方のとても大変なお仕事だけど、その辺をきちんと自覚してされてることに、感銘を受けてます。

智子さん そんなことないですよ。実は一度、仕事をしていく上で、人の死に触れた経験が少ないことが引っかかっていた時期があって、死について語り合う場にいったことがあるんです。死生学カフェっていうんです。

とむ へえ。何歳くらいの方が参加されてるんですか?

智子さん 若い人は20代から、上は70代くらいまで。実際に身近な人の死を経験した人や、そうでない人も、本当ににさまざまです。いろんな人の生の声が聞けた中で感じたことは、やっぱりこう、年配の方でも自分の死をイメージとか実感することは難しいんだなということです。

とむ なるほど。

智子さん 高齢の人って、若い世代よりは意識しているとは思いますが、それでもやっぱり、余命宣告でも受けない限り、日常は続いていく、まだ死は起こらないと考えちゃうようなんです。

とむ うん。なるほど

智子さん 死を考えることは大切ですが、でも死を実感しすぎると今度は逆に毎日生きるのがしんどくなるから、実感できないってのも、案外いいことなのかもしれないですね。お墓を考えるタイミングだって、早ければいいってわけじゃないのかもしれません。

とむ 考えさせられますね。ちなみにその時はどんなトークテーマだったんですか?

智子さん 「死はなぜ語りにくいのか」でした。

とむ 死はなぜ語りにくいのでしょうか?

智子さん そうですね。その時は、やっぱり相手が傷つくんじゃないかとか、死を恐れているんじゃないのかとか、そこをうかつに踏み込んで傷つけたくないとか。そういう意見があって、共感できました。

とむ じゃあ、このブログの企画自体、よくないかな。

智子さん (笑) あとですね、死が怖いかどうかというアンケートがあったんですが、そこが結構面白くて、半々に割れた。

とむ へえ。意外です。

智子さん 人それぞれなんだなって。怖いから語りたくないという意見もあれば、死なんていつ来るか分からないから怖がってもしょうがないという人もいて、さまざまなんです。

とむ 今日はここまで死について話してもらいました。智子さん自身はいかがでしたか?

智子さん 楽しかったです。自分の気づいてない自分にも気づくことができましたし、頭の中が整理できました。新たな発見もありましたし。

とむ ありがとうございました。

 

 

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