先祖供養のコツ いっつもそばにいてくれたら「それでいいのだ」

バカボン家族はハチャメチャだけど

いつも一緒にいるだけで楽しそう

 

こんにちは。とむらいマンです。

先祖供養ってつまるところ、なんなのでしょうかね。

そんなことを今日も考えてますよ、はい。

 

一番身近な先祖は僕たちの両親

僕はいつも

「亡くなった人、大事にしようゼ!」

「ご先祖様、胸に刻んでいようゼ!」

と叫んでます。

ところがこの「ご先祖様」というのは、ある意味スケールが大きい存在で、

捉えどころがないという人も結構多い。

そんな人たちに説明する時に用いる言葉が、

 

一番身近なご先祖様は僕たちの両親。

 

という感じで、

先祖=両親と、分かりやすく再定義すると、イメージしやすいんじゃなのかなと。

 

両親が、大っ嫌いなことだってある

30代の僕たちにとって 両親はまだまだ健在。

中には僕みたいにすでに両親を亡くしている人もいれば、

親の顔を知らないという人だっているでしょう。

もっと言うならば、

「オレは両親のこと大っ嫌いだ」

と 憎んでる人もいるでしょう。

ご先祖様というのは、聞こえはなんだかありがたい存在のようにも思えますが、

なにも僕たちの「守り神」ってわけじゃありません。

たまにはこちらの足を引っ張るご先祖もいるでしょうし、かき回すのが得意なご先祖様もいるでしょう。

バカボンのママみたいな観音様のような素敵なお母さんもいれば

バカボンのパパみたいなどうしよもない無職のオヤジ(=バカボンド)もいるわけで、

面白いのは、それらもひっくるめて、

ご先祖様の血が自分の血に混ざっている、というとこですよね。

できた母とダメオヤジの典型

 

 

いっつもそばにいるだけで、それでいいのだ

そらあですね、

両親や先祖が仏様のように素晴らしい存在なのか、どうしようもない奴なのか そんなことはどうだっていいんです。

大事なのは、

僕たちが望もうと望むまいと、その両親から生まれてきたこと。

その事実を

「それでいいのだ」

と受け入れられるかどうかです。

 

人をだましてはいけない。

 

だって、

自分がその親の子であるという事実、これはもう変えられないわけです。

生きてるときは憎かったクソオヤジ。

その憎しみも、

死んでしまえば他のご先祖様に混ざって、うまーく中和されるものです。

僕たちの親や先祖が

人格者だったか、ヒトデナシだったか

守護霊なのか、呪縛霊なのか。

そんなことは、正直どっちでもいいんです(ほんとはよくないけど)。

つまりですね、先祖供養のコツは、

 

ご先祖様と一緒にいるゼ

 

こう感じること。この感触が一番だいじ。

一緒にいれば、誰かがなんとかしてくれる。

その「一緒にいる」ことを再確認してくれるのが、仏壇であり、お墓なのです。

弔いってのは、

「おれたち一緒だよな」って思い出すことだと、思うんです。

過剰な親孝行や先祖供養はいらないんです。

思い出してくれるだけで、親や、先祖は、大喜びですから。

バカボンのパパは、僕たちを救ってくれるとは限らない。

でも、いっつもそばにいてくれる。

それでいいのだ。

それだけで、いいのだ。

 

とむらいマン

 

 

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