愛し合ってるかい?
こんにちは。とむらいマンです。
今日は思い出の葬儀、忌野清志郎さんの葬儀についてです。
ほんま、個人的な思い出ブログです。どうも。
忌野清志郎さんが亡くなったのは10年前の5月2日。58歳でした。
清志郎さんの葬儀は、5月4日に密葬が行われ、5月9日にロック葬「青山AOYAMA ROCK’N ROLL SHOW」として行われました。
その日、春なのに25度を超えるような、とっても暑い夏日。
参列者は4万3千人。
ロックステージで故人を見送るなんて、何とも清志郎らしい最期。
笑って歌ってシャウトするなんて不謹慎だ! なんて声がどこからも上がらないのは、生前の彼のタブーも超越した生きざまゆえではないでしょうか。
社会全体が彼を偲ぶ、ロック葬という普段ではありえない葬儀のスタイルをほほえましく見守っていたように思う。
さて、当時の僕は27歳。葬儀社勤務。
激務で全然家に帰れない僕のせいで、妻は当時心身ともにノイローゼ気味、そして息子は1才1か月の乳飲み子でした。
清志郎は僕たち夫婦で大好きでしたし、なによりも僕たちの好きなミュージシャン全員も清志郎の影響を受けていた。
妻の気分転換にもなるかなと思いつつ、僕は彼女に参列を勧めたのです。
「天気もいいし原宿から歩いて行こうじゃないか」と、原宿駅から表参道を抜けて青山葬儀所に向かう。
するとですね、行列がすごい。半端ない。
13時から始まるというロック葬。正午の段階で献花の列は伸びて伸びて伸びて、青山霊園の中もうだうだうだと続いて、青山一丁目の駅付近にまで来てるんですよ。
とりあえず、列の最後尾につく。
そして、清志郎の思い出話なんかしながら時間をつぶす。
たまにベビーカーの中の息子を気遣いながら。
あたりを見渡すと、参列者の属性がじつにさまざま。
「押忍、ロックしてます!」風の気合の入った革ジャンやリーゼントの人もいれば、
「よく分かんないけど、なんとなく来ましたっす」風の人もいる。
とにかく老若男女。お年寄りから子供まで、コアからライトまでさまざまな人たちが列を作って待っている。
青山葬儀所で大多数の参列者を集めた人として、「X Japan」のhideを思い出すのですが、彼の葬儀は熱狂的なコアなファンが4万人以上集まったそうです。
それに比べて清志郎の場合の、参列者の幅の広さね。
もちろん、どっちがいいってことはないんですよ。
ただ、決してメインストリームを歩むタイプではなかったけれど、清志郎の生きざまが彼を国民的ミュージシャンに押し上げたのだなあ、愛されていたのだなあと、つくづく感じました。
13時。ロック葬は始まったそうです。
しかし、最後尾にいる僕らにはなーーーんにも聞こえない。情報が来ない。
冒頭。竹中直人、大竹しのぶ、甲本ヒロトの弔辞があったそうだ。
特に僕はヒロトの弔辞を聞きたかったのだけれど、どこで誰が何をしゃべっているのかなんて、青山霊園を超えた歩道に並ぶ僕たちには聞こえるわけもない。
むしろ、ベビーカーの中で景色の変わらない青空に飽きてきた1歳の息子がくずりだすばかり。
近くの警備員に「どれくらいで献花できますかね?」って尋ねると、
「そうですねー、5,6時間ですかねー」の返答。
じゃあ、夕方にまた出直そうと、僕らは一旦列を外れ、青山に戻り、お茶したり、当時できたばかりの表参道ヒルズに行ったり、休日の午後を過ごしたのでした。
そして、満を持して午後5時ころに再び青山葬儀所に向かうとですよ、
行列がさらに伸びている!
献花の列は、ゆっくりゆっくり動いてるんですが、それよりも新たな参列者がどんどんあとからやってきて、列がどんどん伸びている。
近くの警備員に「どれくらいで献花できますかね?」って尋ねると、
「そうですねー、5,6時間ですかねー」の返答。
終電超えんじゃん!
心身共に病んでいた妻は、半日青山を歩き倒し、春なのに25度を超えるような夏日に疲弊気味。
ベビーカーの息子もアスファルトの照り返しにぐったり。
僕はですよ、
あの清志郎。あの清志郎に献花したい。
このお祭り気分をもうちょっとだけ味わいたい。
27歳の僕はそう思うのです。
でも、妻も子どももしんどそうだ。
日が傾いて、間もなく日が暮れて、あと5時間、僕たちは行列を待てるのか?
でも、清志郎の最期の場面も目撃したい。
うぬぬぬぬっと葛藤したのですが、結局献花の列には加わらずに、家路につくことにしました。
結婚し、子どももできた僕の一人称は「僕」ではなく、「僕ら」にしなければならなかった。
したいことをしたい若者も、家族みんなのことを考えて行動しなければならない。
大人になるってのは、そういうことなのだなあ。
清志郎はよく、「愛している」という言葉を歌詞にします。
この意味を、僕はよーーーく、考えた。
この列の先には清志郎。
横には、疲労と痛みに顔をゆがめる妻と、退屈に口を尖らす息子。
いま、僕がすべきこと、僕らのためにすべきことは、家に帰る、という選択だったのです。
「そういうことだよね。清志郎」
列を外れて、青山葬儀所の塀の外まで近づいて、遠くから手を合わせました。
どでかいウサギのバルーンドール参列者を迎え入れ、
献花の列がゆっくりと、ゆっくりと、進んでいる。
その光景を目に焼き付けて、乃木坂駅の階段を下りる僕らと逆方向に、
これから献花に参加する人たちが、どんどんどんどん階段を昇っていく。
僕が一番好きな清志郎の曲は『世界中の人に自慢したいよ』。
あれから、息子もでかくなり、娘もできた。
妻の病も、ありがたいことにすっかり治った。
愛は、恋人だけでなく、家族にも広がっている。
あれから十年。僕も大人になったのだあ。
今日は家族で公園に行く。
車の中で、子どもたちに清志郎を聞かせようじゃないか。
愛し合っているなら 他に何もいらない
たとえ空が落ちてきても 2人の力で受けとめられるはずさ
とむらいマン
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