バカボン家族はハチャメチャだけど
いつも一緒にいるだけで楽しそう
こんにちは。とむらいマンです。
先祖供養ってつまるところ、なんなのでしょうかね。
そんなことを今日も考えてますよ、はい。
一番身近な先祖は僕たちの両親
僕はいつも
「亡くなった人、大事にしようゼ!」
「ご先祖様、胸に刻んでいようゼ!」
と叫んでます。
ところがこの「ご先祖様」というのは、ある意味スケールが大きい存在で、
捉えどころがないという人も結構多い。
そんな人たちに説明する時に用いる言葉が、
一番身近なご先祖様は僕たちの両親。
という感じで、
先祖=両親と、分かりやすく再定義すると、イメージしやすいんじゃなのかなと。
両親が、大っ嫌いなことだってある
30代の僕たちにとって 両親はまだまだ健在。
中には僕みたいにすでに両親を亡くしている人もいれば、
親の顔を知らないという人だっているでしょう。
もっと言うならば、
「オレは両親のこと大っ嫌いだ」
と 憎んでる人もいるでしょう。
ご先祖様というのは、聞こえはなんだかありがたい存在のようにも思えますが、
なにも僕たちの「守り神」ってわけじゃありません。
たまにはこちらの足を引っ張るご先祖もいるでしょうし、かき回すのが得意なご先祖様もいるでしょう。
バカボンのママみたいな観音様のような素敵なお母さんもいれば
バカボンのパパみたいなどうしよもない無職のオヤジ(=バカボンド)もいるわけで、
面白いのは、それらもひっくるめて、
ご先祖様の血が自分の血に混ざっている、というとこですよね。
![](https://tomuraiman.com/wp-content/uploads/2019/05/20190517_054937-e1558040017747.jpg)
できた母とダメオヤジの典型
いっつもそばにいるだけで、それでいいのだ
そらあですね、
両親や先祖が仏様のように素晴らしい存在なのか、どうしようもない奴なのか そんなことはどうだっていいんです。
大事なのは、
僕たちが望もうと望むまいと、その両親から生まれてきたこと。
その事実を
「それでいいのだ」
と受け入れられるかどうかです。
![](https://tomuraiman.com/wp-content/uploads/2019/05/20190517_054055-e1558039343812.jpg)
人をだましてはいけない。
だって、
自分がその親の子であるという事実、これはもう変えられないわけです。
生きてるときは憎かったクソオヤジ。
その憎しみも、
死んでしまえば他のご先祖様に混ざって、うまーく中和されるものです。
僕たちの親や先祖が
人格者だったか、ヒトデナシだったか
守護霊なのか、呪縛霊なのか。
そんなことは、正直どっちでもいいんです(ほんとはよくないけど)。
つまりですね、先祖供養のコツは、
ご先祖様と一緒にいるゼ
こう感じること。この感触が一番だいじ。
一緒にいれば、誰かがなんとかしてくれる。
その「一緒にいる」ことを再確認してくれるのが、仏壇であり、お墓なのです。
弔いってのは、
「おれたち一緒だよな」って思い出すことだと、思うんです。
過剰な親孝行や先祖供養はいらないんです。
思い出してくれるだけで、親や、先祖は、大喜びですから。
バカボンのパパは、僕たちを救ってくれるとは限らない。
でも、いっつもそばにいてくれる。
それでいいのだ。
それだけで、いいのだ。
とむらいマン
これも似たような内容だと思います。是非!
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