お仏壇に投げかけることば|仏壇カタルシス#5

お仏壇に手を合わせる時、あなたはどんなことばを投げかけていますか。

「おはよう。いい天気だね」
「今日はテストだ。がんばってくるね」
「あなたがいなくて、やっぱり寂しいよ」

仏壇の前では、人には話すことのためらわれる「こころの声」を、仏さまや故人さまに向けて投げかける人が多いことをご存じでしたか?

仏壇店に勤め、日常的にたくさんの方の「仏壇のある暮らし」を見続けている筆者が、お仏壇に投げかけることばについて考えてみます。

お仏壇には、亡き人がいる

朝目が覚めて、階段を下りて、居間に入る。そこにいる家族たちにまずはじめに伝えることばは、「おはよう」ですよね。

お仏壇もおんなじなんです。なぜならそこに、家族、先祖がいるから。

お仏壇に投げかけることばって、そんなに特別なものじゃなくて、むしろ「日常的なお話」というのがベースにあります。

素心で仏壇を買って下さったお客様は、インタビューで次のように応えてくださいました。

朝起きたら、「おはよう」の挨拶をします。昼に仏間の前を通るときもお線香をあげますし、お買い物に行くときも「行ってきますからね」と声をかけます。お仏壇を通じて、日常的にお話をしている感じです。夕方はごはんを差し上げて、分からないなりに般若心経を読み上げています。

お経を読んでいるとぽろぽろと涙が出てきます。でも、お経をあげると故人さんも喜ぶとどこかに書いているのを見まして、気持ちが通じるのであればお経をあげさせてもらおうと、義務とかではなく、1日の日常になりました。

素心・こころね『娘への愛情で買ったお仏壇【お客様インタビュー・高岡ひろみ様】』

亡くなった方の姿や形、肉体というものがこの世界から消滅してしまっても、その方への想いというものは、いまだに自分の中から生まれ続けているわけです。これを急に消滅させることは、どうしてもできない。

「死んでしまった気がしない」
「いまでもそばにいるような気がする」
「ふと隣の部屋に向かって『お父さん』って呼びかけてしまう」

こういった声も、たくさん聞いています。

その方への想いが自分の中から生じ、声を発してしまう以上、やっぱりこの声を空中にさまよわせせるのではなく、きちんと受け止めてほしいと感じてしまうものです。

だからこそ、肉体を失った故人さまを表す形あるもの、故人さまへの想いを仮託できる場所というものを、ぼくたちは欲するのだと思います。それが、仏壇の原点です。

こう考えてみると、お仏壇に投げかけることばって、そんな特別なものではなく、日常的な会話に尽きるんです。

仏壇に投げかけることば、8パターン

仏壇に投げかけることばって、主に8パターンに分けられて、それがある部分とある部分が重なっていたり、グラデーションになっているのではないかな、と考えます。

挨拶

「おはよう」「行ってきます」「ただいま」「おやすみ」といった、日常的な挨拶。

会話

「今日はいい天気やね」
「そっちの世界で元気にやっているよね?」

報告

「ケンちゃんが入試合格したよ」
「お母さんの病状があまりよくないんだ」

愚痴

「どうして先に死んじゃったのさ」
「あなたがいなくて淋しいよ」
「最近上手くいかないことが多いんだ」
「私も死にたいよ」

懺悔

「もっとあなたにできることがあったはず」
「昨日、友人を傷つけてしまった」
「ごめんなさい」

誓い

「遺された家族は僕が支えるから、安心しててね!」
「あなたの分も、がんばって生きるよ」
「明日のプレゼン、絶対に成功させるよ」

感謝

「今日もいい日でした、ありがとう」
「お父さんのおかげで今日もがんばれたよ、ありがとう」

祈り

「お父さんが成仏してくれますように」
「家族たちが無事に一日を過ごしてくれますように」

…こんな感じではないでしょうか。ほかにももっとあるかもしれないですよね。

昇華していく故人さま

さて、こうやって見ていると、おもしろいのは、故人さまは昇華していく、ということです。

つまり、日常的な挨拶や会話の相手である家族がこの世界から亡くなりお仏壇の中に入ることで、「祈りの対象」になっていくということです。

たとえば、さっき取り上げた8パターンのうち、はじめの4つ(挨拶、会話、報告、愚痴)は、生きている人にも同じようにしますよね。

ところが、あとの4つ(懺悔、誓い、感謝、祈り)は、まるで神さまや仏さまに投げかけるようなことばですが、これらもまた、故人さまに向けられていくのです。

ぼくはこのあたりに、柳田国男さん的な日本の死生観…

「人はホトケとなってカミとなる」

…というものが表れているのじゃないかと思っています。

だれにも言えないことも、お仏壇は受けとめてくれる

お仏壇の中には、2つの仏さまが祀られています。

ひとつは、仏教的な仏さま。釈迦如来とか、大日如来とか、阿弥陀如来とか。

もう一つは、あなたの家族やご先祖さま。仏に成った仏さま。かつてこの世に生きた親しいあの人も、長い時間をかけてホトケとなり、カミとなっていくのです。

ですから、お仏壇の最上段には仏教的な仏さまが、2段目に家族や先祖の位牌が並べられます。

挨拶や愚痴のような日常的な会話は、お仏壇の前でしてもいいですし、職場の同僚との飲み会、ママ友とのランチ、SNSのDMでもできます。

でも、懺悔、誓い、感謝、祈りといった、あなたの心の中にある、本当にたいせつな、やわらかいものは、だれかれに話せるものじゃない。それを解き放ち、受け止めてくれるのも、お仏壇の、とてもとても大きな役割なんだと思います。

「そこに故人さまがいる」という無条件の大前提を受け入れることができたならばこそ、おうちの中にホーリーな場所(聖域)をつくることができるのです。

もっかい言います。「そこに亡き人がいます」

ということで、ここまでの話を総括すると

「お仏壇には故人さまがいます」

…ということです。それに尽きるんです。

誰かがそこにいれば、挨拶しますよね。そして、その方が仏さまに守られる空間にいて、少しばかり神格化したら、懺悔したり、祈ったり、しちゃいますよね、ってことです。

あと、これはものすごく大事なことなのですが、「ことばにならずに、ただ黙って手を合わす」だけでも構いません。

家族や友人や職場の同僚たちといろんな話をする中で、たまには会話が途切れて何も話すことがない時があるのと同じように、お仏壇の前でも、そんなことがあってもいいんです。

ことばにならない時は、無理にことばにしなくてもいい。いずれにせよ、心を静かに落ち着けて、合掌をする、この姿が大切です。

なぜならその姿勢こそが、お仏壇の中にいる人たちに対して、「そこにいてくれてありがとう」と伝えることに他ならないからです。

これを伝えられるだけで、亡き人は安心してくれているんです。


仏壇カタルシスとは…

仏壇店に勤務するライター・玉川将人が、
インド仏教最高指導者・佐々井秀嶺師からの…

あなたが仏壇の本を書きなさい。
ここにいる人たちの力を借りて
ここにいる人たちのために
本を書きなさい。

…という宿題を成しとげるべく、仏壇にまつわるお話を語っていきます。
あなたの力を貸して下さい。あなたのためのことばを綴ります。

ちなみに…
お仏壇に投げかけることばとして
●何も話しかけない
●お経を読む。お念仏やお題目を唱える。
…というスタンスもあって、これらについても、また次回以降語っていきます。

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