「いつまでも」という祈りは、いつまでも続いていく。
こんにちは。とむらいマンです。
今日は、わたしたちの住む日本の国歌である『君が代』が、
弔い的にもいかにすごいか。というお話です。
※画像は京都下鴨神社のさざれ石。さざれ石は「細石」と書き、小さな石が年月をかけて1つの大きな岩の固まりに変化したものを指します。
『コケはともだち』 苔を愛する日本人
ある石のオタクと話していた時に
彼が見せてくれた写真があまりにも衝撃でした。
「トムちゃん。このお墓、すごいっしょ!」と見せてくれた写真がこれ。
ドン!
この写真を見た時にですね、
わたくし十村井、石ではなく苔に魅せられたわけです。
苔ですよ。苔。あの苔。
あの苔に、
「すげー」って、なったわけです。
ちなみに、苔ってこんなのらしいです。
↓
苔(こけ)・コケは地表や岩の上にはいつくばるように成長し、広がるような植物的なもの。狭義のコケは類苔、蘚類、ツノゴケ類の総称としてコケ植物を指すが、コケはそれに加え菌類と藻類の共生体である「地衣類」や、一部のごく小型の維管束植物や藻類などが含まれる。
Wikipedia「苔」
ふーむ。分かったような、分からないような。。。
植物的ってなんだよ(笑)
つまり、苔は、えー苔類であり、蘚類であり、ツノゴケであり、菌類であり、喪類であるような・・・
苔類(たいるい)ってのはようはこんなのです。
ドン!
んで、これが蘚類(せんるい)。
ドン!
んで、これが菌類。
ドン!
むうう。エキセントリック! サイケデリック!
ちょっとなんか、わさわさっとしてて、おどろおどろしくて、
フェチズムを誘ってくるようなものたち。
苔は、これらすべてに当てはまるというのです。
もう。こんなのを愛でる日本人って、
どうかしてるのかもしれないですね。
アメリカ人もびっくりの模様。
こんなブログもアップされてますわww
『アメリカのテレビ番組で「コケを愛でる日本人」がバカにされているんだが・・・』
しかし、日本人は、苔寺や苔庭を愛します、
苔ガールなんてという言葉もできてしまった。
苔は、
盆栽や寺巡りをしている高齢者の道楽だけでなく、
若者の心をもわしづかみなのです。
ドドン!
このたび十村井が魅せられてしまった石肌の苔を、
大昔の日本の人たちは、すでに何百年も前から愛していたのです。
『君が代』の歌詞をひもとくと、日本人の美意識と死生観が歌われている
そこで、わが国の国家である『君が代』です。
ここには、石と苔という、まさに日本人の美意識を象徴する二者が描写されているのです。
日本人の美意識、つまり・・・
わび・さび
明治の知の巨人、物理学者にして俳人の、寺田虎彦は、こう言ったそうです。
俳諧での寂(さび)とは、特に、古いもの、老人などに共通する特徴のことで、寺田寅彦によれば、古いものの内側からにじみ出てくるような、外装などに関係しない美しさのことだという。具体的な例で挙げられるのは、コケの生えた石がある。誰も動かさない石は、日本の風土の中では表面にコケが生え、緑色になる。日本人はこれを、石の内部から出てくるものに見立てた。
出典:Wikipedia『わび・さび』
古石の苔に「わびさび」という日本独自の美意識を見る寺田虎彦。
日本人は、その石を、死者の供養塔に用いたのです。
そこで! そこで! そこで!
『君が代』です!
君が代のなにがすごいってですね・・・
日本人の根源的な”永続性”への祈りの表現として、石と苔が描かれているのです。
ちょっと詳しく説明する前に、
まずは『君が代』の歌詞をおさらいと、
十村井の意訳です。
君が代は(あなたの存在は)
千代に八千代に(千年も八千年もの時を、いつまでもいつまでも)
細石の巌となりて(さざれ石は大きな岩となって)
苔のむすまで(その岩肌に苔が蒸すまでに)
「君」の解釈が「君主=天皇」なのか「君=you」なのかは意見の分かれる所なのですが、
このブログ的には正直それはどっちでもいいんです。
もう一回言いますよ。
弔い的に、十村井的に、『君が代』の何が凄いかって、
日本人の根源的な”永続性”への祈りの表現として
石と苔が描かれている
・・・ということなんです。しつこい?
日本人は、先祖の永続性を死生観や文化の支えにしてきた
正直わたしは、「右翼や左翼」「保守やリベラル」というくくりでこの世界を見たくないので、
「君が代礼賛=右翼」と見るのはご勘弁願いたい。
ただ、なんでしょう。
親子親子の連続が先祖になり、
この関係が「いつまでもつながっていてほしい」って、だれでも願いますやん。
縄文時代の人も、
平成時代の人も、
多くの親は子の幸せをいつまでも願うし、
多くの子は親の安寧をいつまでも願うし、
それは、どの時代も変わらない、人間の根源的な本能なのだと思うんです。
つまり、
「いつまでも」という祈りは、いつまでも続いていくんです。
「いつまでも」という祈りは、いつだって、変わらないんです。
そのシンボルがお墓なのです。
「千代に八千代に・・・」
これを分かりやすく言い換えるなら
「いつまでも、いつまでも」
ということで、
ここには「先祖=親子=わたし自身」という、命の永続性への希求がある。
そう思いませんか?
さらに宗教的にアプローチするならば、
原始仏教や、キリスト教にもない、
儒教の先祖祭祀を社会システムに組み込んだ日本特有の死生観の表現でもあるのです。
その死生観。たおやかに歌われるこの想い。
それを形として受け止めてくれるのが、石であり、苔なのですね。
石を差し置いて、僕らよりも長く生き続けるものがあるだろうか
お墓は時代にそぐわなく、墓じまいが増えています。
だけど、お墓を悪者にしないでほしい。
石をさし置いて
僕らよりも長く生き続けるものが、
この世界に、あるだろうか。
明日は、3月11日。
東日本大震災から7年。
私は知っています。
たとえ津波に流されたとしても、
たくさんの傷を負ったとしても、
先祖の名前の刻まれた墓石は、この世からなくなりはしない。
それくらい、石は、固く、強いのです。
僕たちの変わらない祈りを
いつまでもいつまもで、受けとめ続けてくれるのです。
千代に、八千代に。
とむらいマン
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