コロナウイルス「緊急事態宣言」 葬儀や法事の参列をプロはこう考えた

コロナウイルスの猛威が収まらない中、4月16日にはついに「緊急事態宣言」が全47都道府県に発令。とにかく人に会わずに家の中にいることを強いられています。

人と人とが会わないことが感染拡大防止の最善策であることを考えると、「亡き人に会いに行く」「遺族を慰めに行く」という葬儀の本質そのものがコロナウイルスによって覆されようとしています。

さて、こうした状況下で、わたしたちは葬儀や法事についてどのように受け止めるべきなのでしょうか。

参列する側の人たちは・・・

「参列しないとマナー違反になるかな」

「参列できないことで、故人さまや喪主に申し訳がない」

「外出は自粛すべきだし、万が一感染するのもこわい…」

一方、葬儀や法事を主宰する人たちは・・・

「どこまでの人に声をかけるべきだろうか」

「家族だけで葬儀をしたいが、どのように断ろうか」

「参列を固辞したことで、あとから苦言を呈されないだろうか」

こうした悩みを持っているのではないでしょうか。

宗教界や葬儀業界など、さまざまな団体や寺院や企業がコロナウイルスに対しての指針を出していますが、どれも一般論に終始して、具体性に欠けるものばかり。

仕方ありません。未曽有のできごとのなかで、だれがどのように判断すべきかわからないのですから。

この記事では、葬儀社、仏壇店、墓石店に勤務する業界15年の筆者が、コロナウイルスによる緊急事態宣言下で、葬儀や法事への参列をどのように考えるべきなのか、そして参列者と主宰者の双方に寄り添って、その解決策をご提示します。

具体的にどのように考えて動くべきか、実践レベルにこだわって考えてみました。ぜひとも参考にしてみてください。

宗教界の指針・ガイドライン

まずは宗教界がどのように葬儀や法事について考えているかをおさらいしましょう。

各宗派がどのような、指針、声明、ガイドラインを出しているかは、全日本仏教会のサイトがとってもわかりやすいです。各宗派へのリンクが一覧になっています。

この中でも特に浄土宗によるガイドラインが、私たち目線に立ったわかりやすい指針のように思えます。

浄土宗では、まずなによりも次の3つが大切だと冒頭に掲げています。

●感染防止対策の徹底
●お骨になった後の枕経・通夜・葬儀の肯定
●感染者遺族や故人に対する差別の防止

基本的にはどの宗派もこの考え方と同じだと思ってください。

つまり、参列よりも感染防止のためにできることを優先するということです。

これを大前提として、参列する側、葬儀や法事を主宰する側の双方がどのように向き合うべきなのか、考えてみましょう。

 

参列する側 弔意の示し方は参列だけじゃない!

ではまずは、参列する側の人に立って考えてみましょう。

葬儀や法事に参列すべきかどうか悩んでいる方は、まずはこの言葉を頭に入れておいてください。

参列する以外にも、弔意の示し方はたくさんある!

ですから、「絶対に足を運ばなきゃ」と思わなくても大丈夫です。

なぜ葬儀や法事を行うのか、その本質はさまざまですが、

主だったものを挙げるならば、「亡くなった方を偲ぶこと」と、「遺族に寄り添って悲しみを共有すること」の2つだと思います。

「故人様を偲んでますよ」「あなたの想いに寄り添いますよ」

こうした意志表示は、なにも参列しなくてもできるものです。

どういった方法があるかというと・・・

●香典

●供花

●供物

●弔電

●直接電話や手紙で想いを伝える

などです。これらを簡単に解説します。

香典

香典とは、現金のお供えです。そこには「このお金で故人様の好きだったものをお供えしてください」「喪主やご遺族の負担の軽減に使ってください」という想いが込められています。直接手渡しできない場合は現金書留でも失礼には当たりません。

供花

供花とはお花のお供えです。人間は大昔から亡き人にお花を手向けてきました。故人さまにお花をお贈りして、少しでも明るく華やかに偲びましょう。葬儀の場合は葬儀社に注文するのがおすすめです。法事の場合は直接自宅に届けてもらいましょう。

供物

供物には、食べ物や飲み物、あるいは線香やローソクなどが選ばれます。食べ物や飲み物であれば、遺族があとで小分けできるもので日持ちをするものが好まれます。線香やローソクなども、仏具店や百貨店に行けば贈答品用のものが取り揃えてあります。

弔電

故人様やご遺族への想いをことばにしてお届けする方法として弔電があります。特に葬儀の時に急を要して自らが筆を執る時間がない時など、弔電が選ばれます。昔はNTTの115が主流でしたが、いまでは携帯電話各社などの新規参入も見られます。

直接電話や手紙で想いを伝える

さて、さまざまな弔意の示し方を列挙しましたが、結局一番大事な弔意の示し方は直接想いを伝えることです。なぜなら、「想い」というのは目に見えないからこそ、お金や、お花や、物という目に見える形に代えて表現しているのであって、一番相手に心に響くのは直接伝えること以外にないからです。もしも参列ができないのであれば、電話や手紙などを用いたっていいのです。たとえばお香典やお花をただ贈るだけでなく、そこにひとこと、あなたの声として手紙を添えるだけで、社交辞令的な弔意は一気に心のこもったことばへと深みを増すのです。

コロナウイルスが原因で参列しない時の断り方

コロナウイルスが原因で参列を控えたいのであれば、その旨を正直に伝えます。

「万が一みなさんに感染させてしまうと申し訳がないから」

…というような自分自身の身の安全よりも、相手の身を気遣うことばにしましょう。

「私が感染したくないから」

…なんて言う人はいないと思いますが、自分のことは控えめに、このような状況下で葬儀や法事に臨まなければならない喪主や遺族をいたわることばを選びましょう。

主宰する側 参列はごく親しい身内だけに限定する

さて、次に主催者側が、葬儀や法事への案内をどのようにすべきかです。

結論から言うならば、極力ごく少数の身内で葬儀を執り行うようにしましょう。

この「参列者の線引き問題」は、コロナショックの以前、家族葬が普及し出したころからすでにありました。

つまり、どこまでの人を葬儀に呼んで、どこからの人をを呼ばないべきか、この線引きがなんとも難しいですよね。

もういちど繰り返しますが、まずは喪主や遺族のスタンスとして、極力ごく少数の身内で葬儀を執り行うようにしましょう。

なぜそうすべきなのか、これからその根拠をお話しし、どのように親戚や参列を希望している人たちに辞退してもらうかを、実践的な方法を解説します。

万が一のことが起こって、一番悲しむのは誰か?

葬儀や法事に人が集まることで万が一のこと、つまりクラスター(集団感染)が起きてしまった場合、「だれが一番悲しむか」と考えたことはありますか?

もっとも悲しむのは、きっと故人さまご本人に違いないのです。

故人さまを偲び、悼むための葬儀や法事です。

それなのに、そこで集団感染が起こってしまうとなると、なによりも故人さま本人が浮かばれないと思いませんか?

私たちは故人さまやご先祖さまのために葬儀や法事を行いますが、もっとも大切にすべきなのは、この世に生きている人たちの健康に他なりません。仮にあなたが体調を崩してしまうと、葬儀や法事どころの話ではありませんよ。このことは肝に銘じておきましょう。

相手を不快な思いにさせない参列固辞の方法

参列固辞はとても気を使い、ことばを選ぶものです。

相手を不快にさせないためには「故人の遺志ですから」と言うのが一番です。

また、コロナウイルスが猛威を振るう昨今では、「万が一集団感染が起きてしまうと、あなたさまに申し訳が立ちませんし、一番悲しむのはなにより故人です」といったように、【相手への気配り+故人の心境の代弁】という組み合わせがパーフェクトです。

人は、亡くなった人と最後のお別れをしたいと思うものです。それは人間である以上きわめて自然な感情です。亡き人を弔いたい、最後に一目見たいと思うのは、人間の根本的な習性なのですから。

だからこそ気を付けなければならないのは、参列の固辞は、相手に不快な思いをさせてしまうかもと常に意識しておくこと。

家族葬を終えたあとに「どうして教えてくれなかった」「最期にお別れしたかったのに」という苦言が喪主に浴びせられるとはよく聞く話ですが、これは、故人と社会的なご縁があった人たちからすると、そのつながりを分断されたようなものだからです。

どんな人にも弔う権利があり、どんな死者にも弔われる権利があります。

その権利をはく奪しかねないのが小規模葬儀の危険なところです。

どうして参列を控えてほしいのか。その理由がなによりも「あなた自身のためなんですよ。そしてみんなが元気でいることが故人が最も望むことなんですよ」ということを、きちんと伝えましょう。

断りづらい時は、お坊さんの力を借りる

それでも参列を断りづらい時というものはあるものです。

故人さまとよりつながりが深い人たちにとっては、葬儀や法事は欠かせないものですし、コロナウイルスに対する温度差のちがいもあるでしょう。「このくらいなら大丈夫!」そう思う人は親戚の中にひとりやふたり、いるものです。

そんな時には、お坊さんに一役買ってもらいましょう!

おそらくこの論は他のどのサイトにも出ていない筆者自身の持論です。しかしかなり実践的に活用できて、だれも傷つけない方法じゃないのかなと思っています。

お坊さんの力の借り方は2つあります。

参列を断る時は、「お坊さんのことば」を相手に伝える

まず1つ目は、「参列を控えましょう」とお坊さん本人に言ってもらうのです。あるいは言ったことにするのです。

葬儀や法事への参列を固辞するときに、自己主張として「来ないでください」とはなかなか言えないものです。

言えたとしても角が立ってしまうことあるでしょう。

そんな時には、こう言ってみましょう。

「今回は近い家族だけにして、お盆や一周忌に盛大に法事をしたらいいのではと、お坊さんも言ってます」

人間というものは面白いもので、相手から直接否定されるとその気持ちのやり場に困ってしまうのですが、お坊さんのように第三者かつ「お上(おかみ)」にあたる人のことばは案外素直に受け止められるものです。

きっと親戚の人たちも「そうかそうか、それならしゃあないな」と納得してくれるでしょう。

仮にお坊さんから直接ことばをもらえなくても、もらったことにしておくとよいのです。

だってそうでしょう。なぜなら、はじめの方で紹介したように、宗教界全体の方針がそもそも、参列よりも感染防止のためにできることを優先することだからです。

法事をしなければならない時は、絶対に自宅ではしない!

それでもどうしても断り切れない時は、葬儀や法事を絶対に自宅でしないようにしてください。葬儀なら葬儀会館、法事ならお寺の本堂を借りましょう。

なぜなら、狭い自宅の方が、「三密」のリスクが圧倒的に高いからです

葬儀を会館で行うのはいまでは当たり前となっていますが、法事となると、自宅で行う人もたくさんいます。

自宅の狭い部屋に親族が10人も20人も集まるのはとっても危険です。

お寺の本堂であれば、堂内は間違いなく自宅よりも広いため、間隔をあけて座ることができます。

もちろん窓は全開にして、マスクやアルコール消毒は必須です。

これから春から夏へと季節が移ろいますし、厳かなお飾りの本堂の中、外からのすがすがしい風に触れての法事はなかなか悪くないかもしれません。

また、法事後の会食は控えて、持ち帰りができるよう折り詰め弁当を用意するなどの配慮も必要です。

法要を中止・延期にするにせよ、親戚などを呼ばないにせよ、本堂を借りて法事をするにせよ、いずれにせよお坊さんの協力が必要だということですね。

どんなに葬儀や法事が小規模でも、故人を偲ぶことはできる

コロナウイルスによる緊急事態宣言下の社会では、

まずは外出を控えて、自分自身の身を守る、まわりの人たちの身をも守ることだ大切だとされています。

葬儀や法事に参列するべきかしないべきか、あるいは呼ぶべきか呼ばないべきかと悩んでいる方、たくさんいると思います。

ここに挙げた方法がすべて正解だとは言いません。

あくまでも自分自身も家族を亡くし、業界に15年いる人間が経験則に基づいて、考えました。そして、葬儀や法要の「本質」を見据えた上で、1本の記事にしたつもりです。

この記事を書く上で、30人近くもの日本全国のお坊さんにも、葬儀や法要への参列について、問題提起として投げかけもしました。

それでも、ここに書かれていることには、不備や、別の考え方があるかもしれません。

この記事を読んでいただいた方からご指摘があれば、訂正もどんどんしていこうと思っています。

それくらいに、このコロナウイルスは、これまで当たり前と思っていた死生観を、弔いの文化を、死者との向き合い方を、変えようとしています。

私も、だれも、正解が分からないんです。

正解が分からないからこそ、私たちは「本質」に立ち返らなければなりません。

時代や社会が変わっても変わらない、「なぜ葬儀や法事を行うのか」という根っこの部分。

くり返しになりますが、もしも葬儀や法事に複数の人が集まって、そこでクラスター(集団感染)が発生してしまったら、だれが一番悲しむでしょうか。

そう、故人さまです。

故人さまが安らかでいられるためにも、無理なくリスクの少ない形で、葬儀や法事を迎えたいものです。

仮に遠く離れた地からであっても、少人数の参列であっても、その想いは必ず故人さまや遺族に届いているはずです。

 

崇興寺(福山市)というお寺のことばがとっても素敵

最後に、広島県福山市にある崇興寺(浄土真宗本願寺派)のサイト内の「新型コロナウイルス対策について」へのリンクを貼っておきます。

コロナウイルスによる緊急事態宣言下での葬儀や法事について、ほとんどのお寺は、ここに書かれているのと同じような想いで対応していると思ってよいでしょう。

ただ、この崇興寺さんのことばは、門徒さんやお参りの人に、ひとことひとことを直接語りかけているようで、とってもステキなんです。

みなさんも、葬儀や法事の参列に迷った時には、ぜひともこのサイトを一度見てから、ご自身のお寺に相談してみてください。

コロナウイルスが一日も早く収束しますように。

そして、家族や親族が気兼ねなく集まって、故人様を送り出せる日が来ますように。

ただただ祈るばかりです。

 

とむらいマン

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