こんにちは。十村井満(とむらいマン)です。
医師向けメディアへのコラムの寄稿を依頼され、
むー。何について書こうかなあと思案しておりました。
とむらいマンは、読んで字のごとく
「弔い」の世界に生かされ、生ききるのですが、
弔いとは、正確に言うならば、
お医者様的「死」とは、ちょっとずれているのです。
いや、大枠でくくるなら、もちろん「死」の領域なのですが、
弔いは、亡くなった人とどう向き合うか
これに尽きるのだと思うのです。
ところがお医者様は、医療の人。
お医者様にもいろいろあるのでしょうが、
内科医もいれば、外科医もいれば、
麻酔医もいれば、歯科医もいれば・・・。
しかし彼らは、死者を扱うのではなくて、
いままさに生きている人たちの、病や、痛みを取り除くのがお仕事。
ここに、医療と供養の、病院と寺院の、医師ととむらいマンの
違いがあるのです。
とむらい「いささか、畑が違うのですなー」
編集者S「しかしですね。なんか、こう、お医者様に、ぐさっと、ささる、とむらいさん、ならではの、記事、書けないですか?」
とむらい「うーん。でもね、いささか、畑が、違うのですよ」
編集者S「いや、そうなんですが、それでも、ちょこっと、なんかこう、企画書上げて、もらえませんか?」
こう言いくるめられるのは悪い気はしない。ありがたい。
死と弔い。陸続きなのだが、ちょっと違うのだ。
山手線が池袋から大塚に抜けてくあの感じ。
新快速が神戸から明石に抜けてくあの感じ。(分からないか)
・・・ん?
医療と供養。
ん? 考えてみれば・・・
病院と寺院。
両方「院」がつきますやん!
それで思い出されたのは、
聖徳太子が創建した大阪の四天王寺。ドドン!
この四天王寺の中に聖徳太子は「四箇院」なるものを設置しました。
ちなみに「四箇院」とは
〇敬田院 いまの寺院
〇施薬院 いまの薬局
〇寮病院 いまの病院
〇悲田院 いまの社会福祉施設
・・・の4つの施設のこと。
これらがすべてひとつのお寺の境内の中にあったのです。
医療と福祉と宗教は一体だったのですね。
現代は、医療と宗教は切り離されています。
これっていいのかなー
WHO(世界保健機関)も認めるスピリチュアル・ペイン。
日本語に訳すと「霊的痛み」
スピリチュアルも立派な、医療の範疇なのです。
「霊的痛みもきちんとケアするのが医療の定義だ!」
こう言っているわけです。
そして、それこそが、宗教の役割なのではないでしょうか。
”臨床宗教師”という人たちが
社会的必要性から脚光を浴びているのも、頷けます。
と、まあ、つれづれ書いてきましたが、
とりあえずコラムの企画書は
平安時代の高僧・恵心僧都源信について書きましょう。
ターミナルケア、つまり終末医療のことですが
これを千年前から実践していた人。
生と死の、その瞬間に耳のそばで念仏される阿弥陀仏の極楽浄土の世界は、
これから死に赴く者に、はたしてどれだけ甘美できらびやかだったことか。
死への恐怖をどれだけやわらげることができただろうか。
死生観を語る場所を失った僧侶たち。
死生観を語ることのできない現代医療の医師たち。
そのはざまについて、書いていこう。
では☆
とむらいマン
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