がんばれお寺!法事のあとの話がマジつまらん件を愛を込めてディスる

お寺

こんにちは。とむらいマンです。

今日はお寺さんをディスります。

名誉のためにはじめに言っておきますが、面白いお坊さんもいます。

心に響く「いいこと言うなー」というお坊さんももちろんいますよ。

がんばってるお坊さんもいます。

いや、みんながんばってるでしょ。

うん、がんばってるに違いない。

でも、ほとんどの場合、お坊さんの話は、

 

つまらない!

 

ということです。

そして僕は、幸せな社会の実現のためには、宗教者の存在は必須だと確信しているし、そのことを人々に伝えたいと、本気で生きています。

だからこそ、愛をこめて、ディスります。

 


 

信じられないんですがね、

お墓の開眼や納骨法要というものがあります。

墓前でお坊さんが読経し、家族はじっとそこに立ち、焼香して、また立ち。

んで、お坊さんがお経を終えて、家族も「ありがとうございました」ってなりますよね。

「じゃ、これで失礼します」

って、何も言わずに帰っていくお坊さんね。

 

法話すら、しないんすよ!

 

このブログでは、法事のあとのお坊さんの話のつまらなさを問題視するんですが、

それすらできない体たらく。

まじ、頼むわ。まじ、仕事して。って思いながら、

業者はお寺にもの言えないんですね。情けない…。

 

葬儀とか、法事とか、お坊さんは読経をするわけですが、

そのあとに「法話」というのをします。

僕は、葬儀社、仏壇店、墓石店と10年以上勤めてきて、

お坊さんによる法話を何度も見てきました。

何度も何度も、見てきました。

すべてのお坊さんが、というわけではないんですよ。

でもね、ほとんどの場合

 

つまらない!

 

つまらないって、爆笑誘う面白さを求めているわけではありません。(当たり前か)

心に響く言葉ってのが、ないんだなー。

その原因ってのは、だいたい次の2つにあるのではないでしょうか。

 

(1)宗教宗派の教えをそのまま語る

 

これねー。痛いんすよ。

僕一度びっくりしたのがですね、

もう50代位の方で、パッと見そこそこ熟練のお坊さんなんですが、

法事のあとの法話で、

カンペを取り出して、それを読み上げるだけなんですよ。

これでは心に響かないなあ。

お坊さんはですね、何百年何千年という伝統を背負っています。

だから、基本的にはその伝統に自分をはめ込まなければならないのでしょう。

でもですね、

僕は、伝統を背負った人の、人としての言葉を語ればいいのではないのかなー、と思います。

等身大の言葉でいいんですよ。

肉親を失った目の前の人たちに、自分の言葉で語ることが大事ではないでしょうか。

人が人に語る。

どんなに拙くても、そっちの方がきっと心に響くのになー。

伝統ってのは、きっと伝統を背負いながらそれを更新していくことなんですよ。

いま流行の言葉で言うところのアップデートね。

釈迦が生まれて2600年。

なぜ仏教がこんなにも長い時間を人々の間で信仰され続けているかというと、

そら、もう、その時代、その場所の人たちが

自分たち流にアップデートしてきたからに他ならないのです。

親鸞聖人の言葉を、自分の言葉で伝えてほしかったなー、あの住職。

 

 

(2)普段から檀家との接点がない

 

分かりますよ。この悩み、この苦悩。

特に最近は檀家さんも忙しいから。お寺との距離がどんどん離れていく。

でもね、

だったら、なんとかして接点増やす方法、考えなさいよ。

…ってことです。

さらに、檀家じゃない、葬儀屋さんの紹介で出会った人なんて、まさに初対面。

何話していいか、分からないですよね。

でもね、

葬儀屋さんも、仏壇屋さんも、墓石屋さんも、

初対面の相手に、いかに自分を知ってもらい、信用してもらえるかが勝負なのですよ。

そこで信用してもらえることで、仕事をいただき、食い扶持が得られるのですよ。

右肩下がりの業界で、毎日必死こいてやってるんすよ。

葬儀屋さんの紹介ではじめて対面する相手なんて、千載一遇のチャンスですよね。

だって相手は、身内を失っている、仏事のことも何も分からない。

こちらは供養のプロ。仏事のプロ。

 

法話って、死生観を伝える、最高にして最後のチャンスなんですよ!

 

だから、接点なければ作ればいいし、

初対面の相手で何話せばいいか分からなかったら、考えなさいよ。

 


 

僕は、社会がお寺の価値を見失っていると思います。

そのためには、社会の側が痛い目にあって気づくことも大切だけど、

お寺の側ももっともっと努力しないといけない。

死生観を持つと、人は、人にやさしく、自分に強くなれます。

そして、死生観と向き合う一番のチャンスは、身内の死なんです。

この時に、

「オレの命ってなんだろう?」

「死ぬってどういうことなんだろう?」

という普段考えない疑問がわき起こる。

ここで、素晴らしい宗教者がそばにいるかいないかは、その後の死生観の醸成に大きく関わるはずなんです。

とむらいマンは、死生観のある社会になってほしいと思うし、

その実現のために、微力でも、がんばってます。

もちろん、がんばってるお坊さんもたっっくさんいます。

このブログではそんな人たちも紹介していきたいと思ってます。

 


 

ということ。

だから、お坊さんたちよ。

まじ、がんばりましょうよ!

一緒に、お寺、盛り上げましょうよ。

 

とむらいマン

 

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