令和元年元旦 天皇陛下の即位儀礼に「中今(なかいま)」を見る

僕たちは、

僕たちが生まれる前から生き続けていて、

僕たちが死んだあとも、生き続ける。

 

こんにちは。とむらいマンです。

さようなら、平成。

こんにちは、令和。

平成から令和への改元は、天皇の崩御ではなく、退位によって行われました。

ですから、祝賀ムードこの上ない。

退位と即位によって行われるさまざまな儀式は、皇室の伝統に則ったもので行われています。

ここぞという時に存在感を見せつける「伝統」の姿に、僕はほっとするのです。

人間というのは面白いもので、人とのつながりをものすんごく大事にします。

つながっていることで、心があったまるし、

つながっていることで、多幸感を得る。

でも、このつながりには、横軸と縦軸があります。

そして、いまの世の中、横軸のつながりはこれでもかってくらいの進化を見せている。

電車や飛行機のおかげで、僕たちは世界中どこへでもいくことができるし、

Twitterのおかげで、どこのだれかは分からない人と確実につながりあえている。

ところが、縦軸はどうなのでしょうか。

縦軸ってのは過去、現在、未来という時間軸。

僕たちの命は過去からやってきて、未来へとつながっていく。

かつてこの世界に生きた人たちがいたことで、今僕たちがここにいるという事実。

神道ではこの考え方を「中今(なかいま)」と呼ぶらしいですね。

過去と現在の中継点である中今。

この中今を、感謝しながら精一杯生きるのがいいのだそうです。

大事なのは「今」!

だけどそこには、この「今」というものが、

過去からやってきて、未来まで続いているという大前提があります。

僕たちが「今」を生きているのは、

望もうと望むまいと、両親や先祖がいたから。

そして未来も、僕たちの子孫がこの土地や世界で幸せにやって行くためには、

僕たちが今を生きることで、未来を築いていかなければなりません。

今この瞬間の、天皇即位の儀礼は、

伝統的に受け継がれてきて、これからも受け継がれていくものです。

それを、いまこの瞬間にやっているわけです。

「中今」をまざままと見せつけられた数日間でした。

僕たちの寿命はどんどん伸びていて、

人生100年時代なんて言ってるけれど、

昔の人たちは1000年単位でものごとを見ていました。

僕たちは、

僕たちが生まれる前から生き続けていて、

僕たちが死んだあとも、生き続ける。

個人主義をはるかに超えて、

壮大な死生観の中で生きていきたいなと。

それこそが、僕たちの生きる苦しみや悩みを少しでも和らげてくれるのだという確信が、

僕をブログへと突き動かしてくれます。

目に見えないものを畏れ、感謝し、手を合わせること

亡くなった人を生活の中に取り込んでいくこと

こうした、死者との共生の社会に少しでも近づけるように。

令和がそんな時代になればいいなと、今日もひた走るのです。

 

とむらいマン

コメント

タイトルとURLをコピーしました