この星は、日々、震えている。
大なり、小なり、地震は止むことを知らない。
こんにちは。とむらいマンです。
まずはなにより、
大阪地震で被災された方。この場をお借りしてお見舞い申し上げます。
6月18日は、楽しみで、楽しみで、仕方のない日だったのです。
この日、わたしは、岐阜におられるお医者様と臨床宗教師に取材インタビュー。
それに便乗して
いつもお世話になっている名古屋のクライアント様と、
なぜか妙に馬の合う仏壇メーカーさんとのアポを取り付けた。
私は意気揚々と、のぞみ112号東京行きの新幹線の車内でパソコンを広げ、ブログの下書きをしておりました。
新幹線は7時56分に新神戸を出発。
その2分後に、ドン!
新幹線は時速200キロくらいで走っていたわけだから、揺れなんて感じませんでした。
ただ、いきなりの停電と、警報。
「ジシンデス、ジシンデス」のアナウンスが繰り返される。
車内は思いのほか冷静で、
突然の不意打ちを、まずは息をのんで受けとめて、
あたりをじろりと見渡して、
ああ、地震なんだ、それでも自分たちはとりあえず生きているんだと自覚する。
僕たちの場合、揺れを感じないことが、幸いしたのだ。
多くのサラリーマンが携帯電話で会社や取引先と連絡を取り合っている。
ありがたいことに停電はすぐに回復し、
冷房が効いていたのと、座席脇に電源が使えたので、
大きなストレスはなかった。
この日、結局新幹線は新神戸まで後退し、6時間ほど缶詰にされたのち、私は岐阜・名古屋行きを断念しました。
震源地にほど近いトンネルの中で、じっと待ってても仕方がない。
ひとつ溜まっている仕事でもしようかとパソコンを広げるのですが、
身体と思考というのは比例していて、
落ち着かないとなんにもかけない。
頭を働かす必要がないような単純な記事でも、言葉がうまく浮かばない、結びつかない。
5分経つとスマホで情報収集。
10分経てば、またスマホ。
こんな感じでした。
震源地にほど近いトンネルの中を、JRの職員たちは線路の異常を確認しに乗り込んでいかなければならない。
さっきのが余震で、もっと大きな本震が来るかもしれないし。
そう思うと、JRの人たちには頭が上がらない。
多くの人もそう思ったのではないだろうか。誰も騒ぎを起こさないし、ストレスを表さなかった。
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しかし、臨床宗教師とその普及に尽力する医師に会いに行くという日の当日に、
しかも同時刻に、
震源地の近くをよぎるなんて、
なんか不思議なものを感じましたわ。
この「不思議なもの」に意味を付けてしまうところに
自分自身の宗教的な面を見てしまう。
この星は、日々、震えている。
大なり、小なり、
地震は止むことを知らない。
地球にとっては、ちょっとしたくしゃみかもしれない、その上で、
右往左往する私たちの命は、とってもとっても小さい。
己の小ささに気づいた時に、人ははじめて畏怖し、
そして、信仰心みたいなものを持つのだろう。
そんな、かくも小さな命の、最後の声に耳を傾けるのが臨床宗教師。
気を取り直して、来週、再び会いに行きます。
とむらいマン
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