「もっと世界を旅したい!」と悩むお寺の若奥さんに捧げるブログ 

お寺

地域が崩壊し、家庭が崩壊する時代に、

きっとお寺が浮かび上がってくる。

 

こんにちは。とむらいマンです。

なんすかね。

「悩む」「お寺」「若奥さん」という言葉をつなぎ合わせると、

「昼下がり」「団地」と「妻」のように

なんだがエロい感じがするのは僕だけでしょうかね(笑)

別になんにもエロい話ではなく、

お寺の奥さんの、ちょっとした、でも根の深いお話です。

 

お寺の奥さんの仕事は「守る」こと

お寺って、ずっとそこにい続けますよね。

僕たちが生まれる前からその土地にあって、

死んだあともそこにい続ける。

ひと昔前までは、檀家制度がもっと強固でしたから、お寺のコミュニティにおける中心的役割は、もっと強かったと思う、うん。

んで、そのお寺の奥さんなわけです。

お寺という、とても閉塞空間にいながら、

女性という、これまた母や、妻や、それこそ「お寺の奥さん」をしなければならない立ち回りなわけです。

お寺の奥さんのことを「坊守(ぼうもり)」と呼ぶくらいですから、

基本的には守ることが仕事なんです、お寺の奥さんって。

伝統の上に成り立っている仏教寺院で「攻める」ことなんて難しいし、

しかもこの保守的で閉鎖的なお寺社会の中で、

女性の役割ってのは、やっぱり窮屈さがあるものです。

お寺にはいつ檀家さんがやって来るか分からない。

基本、コミュニティの中心ですから、

誰かがお寺にいなきゃいけない。

海外旅行もできないし、ご近所さんは檀家さんばかりだから変な格好もできない。

あんまり派手な服着ると変な目で見られるし、いい車乗ったら「わしらのお布施で」なんて言われもする。

結構たいへんなんですよ、お寺さんって。

 

お坊さんは定住すべきか、移住すべきか

ところで、ダボス会議で「Young Global Leader」に選ばれるほどの新進気鋭の僧侶に松本紹圭さんがおられます。

この松本紹圭さんのブログのタイトルが、

 

ひじりで行こう

 

なんすよ。いんやーすばらしい。

聖(ひじり)を知らない人がいると思うので少しだけ解説します。

聖ってのは、あちこちに動き回るお坊さんのことですが(説明が乱暴ww)、

一方で日本には7万近くものお寺があると言われています。

お寺ってのはずっとその場所に居続けることに価値がある。

つまり、仏教者の営みとして移住定住の、2つのアプローチがあるわけです。

松本さんは自身のブログの中で、聖(ひじり)がどういう人たちなのかをこう説明しています。

 

聖(ひじり)とは、
かつて日本で全国を遊行してまわったお坊さんのこと。
ひじりは安定した公的な僧侶の立場を捨て、権力や名声を求めることなく、
全国各地を行脚しながら人々を救うことに力を尽くした人たちです。
空也上人や一遍上人が有名ですね。
「ひじり」は「火」を「しる」からも来ているとも言われます。
古代、儀式で使う聖なる火を操ったからかもしれません。

松本紹圭ブログ『Post-religion』

 

未来の僧侶の姿を切り開いている松本さんが

 

「ひじりで行こう!」

 

と、仰っている。

檀家制度は崩壊していく。これは間違いない。

人々は軽やかに土地と土地を、国と国を飛び越えていく世の中。

あげくのはてにはインターネット環境がここまで整備されてしまうと、

もはや定住と移住の境目が分からなくなるくらい、人々は簡単につながりあえるようになった。

松本さんが言っているのは、

空也とか一遍とか重源とか忍性のように、

杖ついて、編み笠被って、

読経して、土砂加持して、勧進する。

そうしたいわゆる近代以前の聖の姿をアップデートさせた、

お寺にいながら、世界中を飛び回る。

世界の裏側にいながらお寺の檀家さんとメールやLINEでやりとりできちゃう。

そんな世界なのだ、とむらいマンは思ってました。

 

お寺の若奥さんの煩悶が満たされない

 

さて、以下、若奥さんととむらいマンのやりとり。

 

とむらいマン(以下:トム)「すごいすよね。松本紹圭さん。若い。新進気鋭」

若奥さん(以下:若奥)「そう、本当にすごい。仏教の新しい波を起こしている」

 

昼下がり。

玄関先で、未来のあるべき仏教やお寺の姿について、話し込む僕たち。

 

若奥「わたしも、いつまでもこんなのでいいのかなーって思うんですよ」

トム「へええ。いいじゃないですか。ここのお寺は、人の出入りもあって、イベントとかアクティブだし、僕は好きですよ」

若奥「いやあ、わたしね。一番初めの子どもを産んだあとに、ちょっとした鬱になりかけたんですよ」

トム「えええ! そうだったんですか」

若奥「いろんな世界を見てみたいっていう衝動に駆られて、いろんな冒険の本とか、世界中の気候や風土の本を読んでた時期があって」

トム「ほうほう」

若奥「んでね、大阪まで冒険家の人の話を聞きに行ったんですよ」

トム「ほお」

若奥「その方がね『外に出なきゃだめだ。移動しなきゃだめだ。でなければ新しい考えは生まれてこない』って言われて、わたしはそれがすごくショックで…」

トム「ほおおおぉぉぉ」

若奥「わたしはこんな田舎のお寺で、お寺守って、子どもたちを育てる毎日に追われて、こんなのでいいのかなって、よく思うんですよ。私みたいな生活をしていたら、もう新しい考えは出てこないんだーって、がーんって。」

 

「がーん」の表現が少し古臭いけれど、

若奥さんの苦悩がこちらにも伝わる。

一番上の子が生まれたころってことは、その冒険家の人の話を聞きに行ったのはもう10年くらい前のこと。

若奥さん。いまでもその言葉を引きずっているようでした。

たしかに、お坊さんのスタイルには、お寺を守るお坊さんと、遊行遍歴するお坊さんとがいる。

つまりは、定住と移住です。

若奥さんは、移住にあこがれている。

21世紀に入っても、ずっと同じ場所にい続ける生活の息苦しさや閉塞感に迷い込んでいるのです。

 

「奥さんとお子さん、大丈夫かな」と言わせる感性の重要性

 

若奥「でもね、とむらいマン」

トム「はい」

若奥「あんなに日本中を飛び回っていて、奥さんとお子さん大丈夫なのかなって、そっちの方が心配やわ

 

僕はですね、この感性、この考え方が、すごく大事だと思うんですね。

 

奥さんとお子さん、大丈夫なのかな

 

松本さんに限らず、いわゆるひじり的な人、移住する人、ノマドな人。

いいんですよ。全然いいんですよ。

でも、奥さんとかお子さんという、家に帰属する人たちがいるのもまた、事実なんですね。

人の生き方として移住がスタンダードになりつつある昨今ですが、

定住の幸せってのもあると思うんです。

もちろんそこに優劣はありませんよ。

でも、移住と定住のバランスって、絶対に、ある。

んで、

お寺の価値ってのは、ずっとそこにいつづけること。

困った時、悩んだ時、話を聞いてほしい時、楽しいことがある時、

そこにいけばお寺があるっていうのが大事なんです。

都会に出て長い年月が経ってしまったけれど、

たまに故郷に帰ると、あるべき場所にお寺がある。

これが大事なんです。

そしてお寺には、その土地に生まれて死んだ人々が祀られている。

住職に話と話してみると、

3代前の祖父母だけでなく、5代前のご先祖様がどんな人だったかまで聞けてしまう。

「お寺は世代を定点観測できる場所」とは、松本さんの言葉だけれど、

そういうお寺の持つ可能性ってのが、絶対にあるんですよ。

聖で駆け回る松本さんはすごいし、かっこいい。

でも、奥さんと子供がいる家に毎晩必ず帰ってあげる人も、すごいし、かっこいい。

移住定住に差はないし、定住者には定住者にしかできないことが、絶対にある。

 

…という具合に若奥さんに語ってしまった。

 

 

お寺の価値は、ずっとそこにいつづけること

若奥さんがいるこのお寺は、檀家寺ではないんです。

だから、お参りの人や、地域の人の支えで成り立っている。

逆にいうと、

檀家制度のない中でお寺がこれだけ維持されているなんて、

そこに住む人たちの人柄に他ならないと、とむらいマンは思います。

このお寺では、写経の会とか、婚活とか、野外コンサートとか、村の盆踊りとか

いろいろアクティブに、

お寺に人がやって来てもらうための仕掛けを行っている。

田舎の、素朴なお寺ですが、

とにかくいつ行っても

村の人や、お参りの人や

必ず誰か「人」がいる、素敵なお寺です。

僕も、営業に疲れた時、いつも立ち寄っては癒されています。

いつかまもなく、檀家制度が崩壊していく

それはもう誰もが分かっていることです。

「定住」のお寺の根拠である檀家制度が崩壊してもなお、

お寺がそこにあり続けることの意義。

人々は、いつだって、宗教の力を必要とする。

そういう時に、ずっとそこにいつづけるお寺が、

人々から求められるんだと、僕は確信しています。

いまはネットの時代さ。

定住しながら面白いことたくさんできるし、

たまの旅行なら、すぐに行って帰って来れるさ☆

だから若奥さん。

誇らしく、自分のお寺を、磨いてほしいと思います。

南無阿弥陀仏。

 

とむらいマン 合掌

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