仏壇のほの暗さと、ゆらぐ灯りの美しさを語る|仏壇カタルシス#3

前回の記事で、仏壇が箱状であることで、空間が区切られ、手を合わす時間が誰にも邪魔されずに守られることを語りました。

箱状の仏壇は、暮らしの中に、「区切り」ともうひとつの魅力を生みます。「暗さ」です。

この記事では、仏壇というくりぬかれた空間が作るほの暗さと奥行き、その中で明滅する灯りの美しさについて語ります。

奥まで進むことの高揚感

箱は、空間を区切り、中と外を分けます。前回の記事ではそれを、「聖域」と「俗域」と表現しました。箱の外(俗域)は光にさらされて明るいのに対し、光の届きにくい箱の中(聖域)はほの暗い。

当たり前のことのように思われますが、聖域を考える上で「暗さ」はとても大切です。

普段ぼくたちは、暗いところよりも明るいところを好みます。これはきっと人間や生き物の本能。

でも、よくよく考えてみると、神聖なものって、暗くて、奥深いところにあることに気づきます。

原始宗教でも、神さまは森の中や洞窟の奥にいます。

神さまが祀られている神社は、参道を歩いた奥の方に拝殿があり、さらにその奥に本殿がある。

仏さまが祀られているお寺も、参道の奥に本堂があって、建物の一番奥まったところにご本尊さまが祀られています。

これが、鳥居や山門をくぐっていきなりバーンと神さまや仏さまが登場してしまうと、なんか唐突すぎて、興ざめしてしまうと思うんです。

奥まで歩みを進める、そのプロセスこそが、神聖なものをより神聖にしてくれて、こちらの気分を高めてくれるのでしょう。

闇と光と宗教儀式

奥までずんずん歩んでいくと、当然光は届きにくくなり、あたりは薄暗くなっていきます。

太陽の光を煌々と浴びるのももちろんよいのですが、奥深い山の、薄暗くて湿った空気の中で、木々のすきまからこぼれ落ちる木洩れ日に霊性を感じたりするものです。

神葬祭(神道のお葬式)では、通夜で行われる「遷霊祭」という儀式を最も大切にします。この儀式は、古くから夜中に行われていたこともあり、いまでも葬儀式場の灯りをすべて消して、暗闇の中で営まれます。

その他にも、護摩祈祷、火まつり、万燈会、大文字焼などなど…闇と光を用いた宗教儀式は、挙げるとキリがありません。

お寺の本堂も、屋根がものすごく大きく、庇が前に出っ張っていることもあり、真昼であっても建物の奥まで光が届かないよう設計されていることが分かります。

天井から吊るされる燈籠、仏前に供えられた和ローソクのあたたかみのある燈火のゆらぎが、堂内に置かれたさまざまな仏具に鈍く反射して、あたりを厳かな空気にします。

宗教儀式とは、霊魂や聖性に触れる時間です。うす暗い空間の一隅を照らす燈火には、ぼくたちの悲しみを癒し、心を調えるはたらきがあります。

ほの暗いお寺の本堂では、燈籠やローソクの灯りによって幻想的な空間が作られる。

奥に行くほど昇華される

仏壇は、自宅のかたすみに置かれた聖域です。その聖域は、箱で区切られ、ゆえに中はほの暗い。

仏壇の中は棚状になっていて、基本は3段または4段構造です。手前から、お供え物、五具足(お花、線香、ローソク)、位牌(先祖や故人を表す)、本尊(仏を表す)の順に並びます。

この配置が実に面白くできています。仏壇に向き合って正座する自分、そして故人さま、ご先祖さま、仏さままでが地続きであることを示しているからです。これらは、段々奥に、段々高く祀られます。

柳田国男の死後観では、日本では、死者の霊は、祖霊となって氏神となる。ホトケとなってカミとなる。

自分、故人、先祖、仏の順に並ぶ仏壇は、奥に行けば行くほど昇華され、奥に行けば行くほど光が届きにくくなっており、日本人の宗教観と美的感覚をひと目で分かるように表現されているのです。

部屋は明るくても、仏壇の中はほの暗い。

谷崎潤一郎の『陰翳礼賛』

最近の住宅は、採光性にすぐれ、白のクロスが人気で、LED照明で部屋中をくまなく照らすなどして、「明るいことが善」と言わんばかりに光があふれています。

しかし、「日本人の美意識は陰影にある」と論じたのは、あの日本を代表する小説家・谷崎潤一郎です。

谷崎は『陰翳礼賛』の中で、日本人は光ではなく陰に、そして陰と光の交感の中に美を感じ、さまざまな伝統文化を培ってきたのだと論じます。

引き合いに出したのは、厠(トイレ)、紙、筆、食器、水晶、漆器、蒔絵、羊羹、日本家屋、金箔、砂子、歌舞伎、能、衣裳、鉄漿、皮膚の色など。たとえば、日本の漆器の美しさについて、次のように綴ります。

日本の漆器の美しさは、そう云うぼんやりした薄明りの中においてこそ、始めてほんとうに発揮されると云うことであった。(中略)古の工藝家がそれらの器に漆を塗り、蒔絵を画く時は、かならずそう云う暗い部屋を頭に置き、乏しい光の中における効果を狙ったのに違いなく、金色を贅沢に使ったりしたのも、それが闇に浮かび出る工合や、燈火を反射する加減を考慮したものと察せられる。(中略)豪華絢爛な模様の大半を闇に隠してしまっているのが、云いしれぬ抒情を催すのである。

一見地味な漆器も、暗闇の中に置かれ、乏しい光の中での陰影の効果を考慮して作られている。日本の伝統的な仏壇や仏具の多くが漆製品であることを考えると、仏壇屋にとって谷崎のこの一文には感慨深いものがあります。

谷崎は「美というものは常に生活の実際から発達するもの」としています。西洋の屋根が尖っているのに対し、建築資材の乏しい中、雨風をしのぐ工夫として、日本人は屋根を大きくした。その結果として、深くて広いほの暗い影を作り出したのだろうと、谷崎は語ります。

一方で、神仏への礼拝はほの暗い空間で行われ、もう一方で、実生活の工夫から陰影を利用した日本の伝統工芸が洗練された。

仏壇とはまさに、陰影を原点とした日本の宗教と工芸の交差した到達点と言えるのではないでしょうか。

明るい室内に、一隅を照らす仏壇を

最近の住居は、採光がよく、明るいインテリアが人気です。だからこそ、そのかたすみに仏壇という祈り空間を置くことで、暮らしの中に「ほの暗さ」が生まれます。

明るくあること、明るく生きることがもてはやされる時代において、ほの暗い場所を持ち、その中でゆらぐあたたかいローソクの光に包まれることが、自身のレジリエンスにつながります。

弘法大師空海は、次のような言葉を残しています。

生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く
死に死に死に死んで死の終りに冥し

ぼくたちは、暗闇から生まれ、暗闇に死んでいく生き物です。

だからこそ、亡き人に向き合う時や死生観に思いを馳せる時、この明るさ至上主義の世俗から少しだけ距離をとって、仏壇の中を照らす一隅の灯りに、心を落ち着かせられるのではないでしょうか。


仏壇カタルシスとは…

仏壇店に勤務するライター・玉川将人が、
インド仏教最高指導者・佐々井秀嶺師からの…

あなたが仏壇の本を書きなさい。
ここにいる人たちの力を借りて
ここにいる人たちのために
本を書きなさい。

…という宿題を成しとげるべく、仏壇にまつわるお話を語っていきます。
あなたの力を貸して下さい。あなたのためのことばを綴ります。

ぼくたちの幸せのために、仏壇が果たす役割は本当に大きい。語りがいがあります。

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