回忌法要に月参り。定期的にお坊さんを呼んで法事をした方がよい理由|仏壇カタルシス#19

普段お坊さんと接点のないあなた。「法事って、しなきゃダメなの?」とお考えじゃないですか?

「法事ってなにのためにするの?」
「たった1時間程度の読経。お布施がもったいない」
「自分たちで毎日手を合わせている。だからわざわざお坊さんを呼ばなくても…」

…といった声を耳にしたりもします。

日常的に仏壇やお墓へのお参りしている人、あるいはお参りできてなくても心の中でしっかりと亡き人のことを考えている人、それはとってもすばらしくて、それだけで充分立派な供養です。

その上で、ぼくは定期的にお坊さんを招いた法事を営むことをおすすめします。なぜなら、法事を営むことが、故人さまのために、ご先祖さまのために、ひいてはあなたのためになるからです。

具体的にどういう風に「ためになる」のかというと、

  • いろんな不安がやわらぐ
  • 人とのつながりを感じられて安心する
  • 自分を客観的に見つめられてひと呼吸つける

などが瞬時に浮かびます。

ということで、この記事では、どうして法事をした方がいいのか、その理由をたっぷりとお伝えいたします。

法事・法要の基礎知識

まずは、法事や法要の基礎知識を理解しておきましょう。Goo辞書で検索すると次のように説明されていました。

死者の追善供養のために行う仏事。特に、四十九日まで7日目ごとに行うものや年忌をいうことが多い。法要。

法事・法要と聞くと、一周忌や三回忌などの回忌法要を連想しますが、お坊さんのお参りを伴うものにまで定義を広げるならば、さまざまな法事があります。

追善・回忌法要

葬儀のあとの法事のことを追善法要や回忌法要と呼びます。一般的に「法事」「法要」と言えば、このことを指します。

葬儀のあとは、初七日、二七日と、7日ごとの追善法要が続いて四十九日法要まで行います。

以降、百か日、一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌、十七回忌、二十三回忌、二十七回忌と回忌法要が続き、三十三回忌で供養が完成されると考えられています(これを「弔い上げ」と呼ぶ。地域によっては五十回忌まで行うところもあるらしい)

お盆参り・棚経参り

お坊さんのお参りと聞いて、お盆のお参りを思い浮かべる方もいるのでは?

お盆はご先祖さまや故人さまの霊魂がわがやに帰ってくるとされる時期のことで、お坊さんたちは期間内に檀家の家を集中的にお参りします。そのため、読経の時間は10分程度です。

地域によっては精霊棚(お盆専用の祭壇)を飾るところもあることから、「棚経参り」とも呼ばれています。

月参り

毎月訪れる祥月命日にお坊さんがお参りにやって来ることを「月参り」と呼びます。

最近では、減少傾向にありますが、それでもまだまだ月参りを行う地域は多くあります(筆者が住む姫路界隈でも当たり前のように行われています)。

お寺主催の法要

お寺が主催する法要というものもあります。その場合、ぼくたちがお寺にお参りします。

代表的なものに「施餓鬼法要」「彼岸法要」「灌仏会(花まつり)」「成道会」「報恩講」「御会式」などが挙げられます。

お寺の本堂に集まって、みんなでお経を聴いて、手を合わせて、そしてお坊さんの法話を聞く、というのが一連の流れです。

法事をしたい! と思った時

自宅で行う法事や、お寺が主催する法要は、たいていスケジュールが決まっています。

ですが希望するのであれば、あなたの思うタイミングで法事法要を営むこともできます。

「お坊さんに供養をしてもらいたい」
「家族にとっての大切な記念日。みんなが集まる機会を作りたい」
「心がモヤモヤする。お坊さんに拝んでほしい」

…などの理由で、法事をしたいと相談すれば、対応してくれることでしょう。

法事・法要を営むことの意義

この記事の冒頭で、「法事を営むことが、故人さまのために、ご先祖さまのために、ひいてはあなたのためになる」と言いましたが、どうして法事が私たちのためになるのでしょうか。

供養とは自分自身の心のあり方の問題なので、わざわざお坊さんを呼ばなくてもできるものだと思います。

それでもぼくは、定期的にお坊さんを招く法事を行ってほしいと考えます。なぜなら、法事には少なくとも次の3つの意義があるからです。

僧侶は供養のプロフェッショナル

第一に、プロの仕事を目の当たりにすることが挙げられます。

僧侶は亡き人を弔うのための儀式とロジックを携えた、まさに供養のプロフェッショナルです。

供養をするのはあなた自身ですが、たまにあなたの供養をチェックしてくれるメンター的存在です。

病院での健康診断。車の定期的なメンテナンス。数年に一度のピアノの調律。

こうした人たちと同じように、年に一度、あるいは数年に一度でも、ほんまもんのプロの読経を上げてもらうことで安心感が生まれます。

そして、あなたが安心する姿を、きっと故人さまやご先祖さまも喜んでくれるはずです。

非日常な存在。非日常な空間

2つ目に、非日常体験ができるということ。これもあなたのためになるんです。

よくよく考えてみるとお坊さんって非日常な存在です。そして、仏さまに守られたお寺の本堂も、非日常空間そのものです。

さて、どうして非日常が大切なのかというと、たまに得られる非日常体験が、日常に張りを生んでくれるからです。

毎日仏壇に手を合わせる人にとって、仏壇という場所は日常ですが、非日常なお坊さんと話をしたり、非日常なお寺という場所に身を置くことで、日常の自分を客観的に見直すことができます。

たとえば、いつも当たり前のように手を合わせていることに対して、「いつも手を合わせられて、すばらしいですね」なんて褒められた日には、やっぱり嬉しくなって、「お父ちゃん、明日からよりしっかり祈るよ」と気分になります。

気になってたことを質問して「こういう風に拝んだらいいですよ」とアドバイスされたら、気になっていたことが解消されて、より安心して手を合わせられます。

祈りや弔いに「これでいいんだ!」という実感が伴うことで、納得感、安心感、多幸感が生じてきます。

あえてイベントにすることに意味がある

3つ目に、あえて人を集まる、つまり「イベント化」することの意義をお伝えしましょう。

これまで挙げた2つの意義は、いわばお坊さんがいればOKみたいな話になってしまいますが、そこに人を集めるという要素を加えることで、法事の意義はグッと深まります。

集めるべき人とは、当然家族や親戚のことです。

人は、きっかけがないとなかなか久しぶりの再会というものができないものです。

都会に出た息子に「あんた、しばらく会っとらんけん、たまには帰ってきんかい」と言ったところで、「いま忙しいけえの」と切り返されてしまった。

しばらく疎遠になっている親戚に声をかけようにも、久しぶりすぎて何をきっかけに切り出すべきか分からない。こうした経験をしたことのある人も多いのでは?

でも、法事の誘いであれば声もかけやすいですし、誘われた方も「行かなきゃ」というマインドになります。死者の求心力って本当にすごいんです。

家族や親戚が集まることで、みんなでお弔いをして、近況報告をしあって、お互いをいたわりあいます。こうすることで、一人じゃないんだ、みんなとつながっているんだということを肌で実感できます。

この実感こそが、ものすごく大事なんです。

法事・法要を営むことでもたらされるもの

ということで、法事法要をした方がいい理由をまとめます。

  • お坊さんによるほんまもんのお経に故人さまが喜んでくれる
  • 日常の自分を客観的に見直し、日々の祈りや弔いに張りや深みが出る
  • みんなと再会でき、自分は一人じゃないんだという安心感が得られる

「法事ってなんのためにやるの?」と疑問に感じている方は、この記事を読んでから法事に臨んでみてください。「法事はいつまでやればいいの?」と疑問に感じている方は、元気なうちはずっと続けたらいいと思います。

供養は、あなたが主体となって行うもの。その供養を、僧侶、家族、親戚たちとシェアしながら営むことで、あなたにちょっとばかりの幸せが、確実に上積みされます。

それはすなわち、故人さまにも、幸せが上積みされることでもあります。

だって、故人さまとあなたは、いつも一緒にいるんですからね。


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