こんにちは。とむらいマンです。
自殺。何とも辛い言葉ですよね。
今日もまた、僕の周りで一人、自ら命を絶った人かいます。
心からご冥福を祈る次第なんです。
彼がなぜ亡くなったのかは、実際のところ誰にも分かりません。
表向きには事故ということになっている。
でも僕は、自らの家族も自殺で亡くし、
仕事でも、
何十何百という、自殺で家族を失った人たちを見てきています。
だから、自殺の匂いというものを、なんとなくかぎ分けることができます。
自殺でない場合、残された側には、怒りや悲しみのやり場があります。
病気だと、
「どうして癌になってしまったの」とか、「どうして神様は彼にあんな病気を与えてしまったの」とか。
事故の場合も、
「どうしてあの時間、あの瞬間に彼はそこにいたのだろうか」とか。
自分の意志ではなく、病気になり、
自分の意志ではなく、事故にあう。
自分たちが望まない現実がやって来た時に
「どこかの誰かによる意志」というものを、どうしても感じてしまう。
そう思うことで、なんとか精神のバランスを保てる。
そして、その「どこかの誰か」こそが、
神様や
仏様であり、
死神や
悪魔なんです。
僕たちは自分たちの人智では到底受け入れられない現実を、
こうした目に見えない、そして自分たちよりも高い場所にいる存在に託すことで、
なんとか、残酷で不条理な現実を乗り越えようとします。
だから自殺でない場合、その事実を周りの人に話すこともできる。
「うちの奥さん癌で亡くなってしもてん」
「 うちの旦那事故にあってなくなってしもたんよ」
ところが、自殺ではそうはいかないんです。
「自ら亡くなりました」
こう切り出すことが、本当に辛い。
そして、言われた方も、本当に苦しい。
自殺は、自ら死を選ぶことです。
それは、神や仏、悪魔や死神に頼れないということです。
望んでない死ではなく、
どこかの誰かの意志によるものでもない、
正真正銘、自分自身の意志なんです。
悲しいかな、そうなんです。
だから、遺された側の怒りや悲しみのやり場がない。
最悪の場合、自分自身を責めてしまう。
だから、自殺は辛い。
本当に、本当に、辛い。
昨年の年間自殺者数は2万1000人。
1日に57人が息を引き取り、
57組の家族やつながりのあった人たちが、
行き場のない悲しみや怒りや戸惑いを路頭に迷わせている。
自殺を否定なんてできません。
でも、自殺は、本当に、悲しい死に方なんです。
ああああ。
何書いてるのか。
どう納めていいのかわからないこのブログ。
今日はこのへんで。
とむらいマン
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