相場よりも大事なこと お布施と「スナックキャンディ」の思想がソックリ!

お寺

個人の信用そのものが売り物となる職業が

世に出てくるだろう

 

注意)今日の記事はオンラインサロン「黒絆」入会記念です。一部、会員さんでないと分からないところがあるかもしれないので、関係ない方はその部分スルーして読み進めてください。どなたにも必ず伝わる本質論を綴ります。

 

こんにちは。とむらいマンです。

僕は、常々お布施と信用経済は似ているなーと思っているのですが、

その切り口からお布施について考えてみたいと思います。

※冒頭で引用させてもらったのはみなさん大好きのキンコン西野氏の言葉です。

 

葬儀屋5年、仏壇売り6年、墓建て6年のとむらいマンですが、

お客様から一番多い質問がこれなんです。

 

「お布施って、どれくらい包めばいいんですか?」

 

お布施問題。

そう、お布施問題ですよ。

今朝も、とあるクライアント様から、

「とむらいちゃーん。お布施の相場について書いて☆」

と言われたものです(もちろん仕事だから書きました)。

ここでは、いわゆるお布施の相場など綴りません。

お布施ってなに? という極めて本質的な問いについて考えてみたいと思います。

※具体的な金額に興味ある方は【お布施 相場】で検索してみてください。いやというほど同じようなページが出てきます。

 

ぶっちゃけ、お布施って何よ?

「お布施」という言葉は、現代ではお坊さんの宗教行為に対しての謝礼や報酬の意味で用いられていますが、もともとはどんな意味があったのでしょうか?

 

布施はそもそも修行法のうちのひとつ

そもそも「布施」は修行法の1つでした。

仏教には悟りの境地に至るための修行法に六波羅蜜(「6つの修行法」の意味)というのがあります。

その6つとは

  • 布施 分け与えること(※あとで詳しく)
  • 持戒 修行者としての戒律(決まりごと)を守ること
  • 忍辱 耐え忍ぶこと
  • 精進 努力すること
  • 禅定 心を集中させ、安定させること
  • 般若 真理をありのままに見れるようになるはたらき

…です。

その中の1つが布施なのですが、

布施はさらに「財施」「法施」「無畏施」の3つに分けられます。

Wikipediaにはこうあります。

布施には「財施」「法施」「無畏施」の三種がある(大智度論)。

財施とは、金銭や衣服食料などの財を施すこと。

法施とは、仏の教えを説くこと。

無畏施とは、災難などに遭っている者を慰めてその恐怖心を除くこと。

Wikipedia「布施

 

もーっと分かりやすく言うとですよ、

お金や物を自分一人で囲い込まずに分け与え(布施)、素晴らしい情報自分一人で囲い込まずに分け与え、(法施)、困っている人のそばに寄り添って安心を分け与える(無畏施)。

これね…

 

イレブン北村さんがやろうとしていることじゃないですかΣ( ̄□ ̄;)

 

だからですよ、

インターネットの普及で一気に広がりを見せる信用経済ってのは、

古代インドで始まった仏教の思想と、大きく重なるところがあるんです。すんばらしい…。

 

さまざまなお布施

お坊さんやお寺が行う宗教行為に対して渡す謝礼は、全部お布施です。

葬儀の時の謝礼もお布施だし、

毎年お寺で行われる法事にもお布施を持って行きます。

月参り(お坊さんが毎月家の仏壇にお参りにくる)とか盆参り(年に一回のお盆のお参り)に対してもお布施を渡します。

お寺側から言うと、

毎月や毎年でルーティンでいただくお布施は固定収入。

葬儀などいつ起こるか分からない事柄に対してのお布施は臨時収入。

…という感じです。

 

キッチンイレブンというパスタ屋さんは、現代版のお寺?

これは、暴論なのですが、僕は常々こう思ってました。

 

イレブンさんは、本来あるべきお寺の姿なんじゃねーの?

 

分からない人に簡単に説明します。

キッチンイレブンという姫路市のパスタ屋さんは、

なんと、ファンクラブ制度を導入しています。

毎月500円の会費を払う会員さんは、飲食代が会計フリー。

いわゆる投げ銭システムです。

僕はお金ないときよく利用させてもらってます(汗)

西野亮廣(キングコング)と前田祐二(SHOWROOM代表)が共同オーナーを、 ホームレス小谷が社長の東京五反田のスナック「スナックキャンディ」の姫路店でもあるという。

つまり、ここがモデルなんですな。

※ちなみに、パスタ、激ウマです。

 

 

 

 

さって、このシステム。

毎月の500円が固定収入。

飲食時のフリー会計が臨時収入。

しかも「フリー」ってことは、「お気持ち」なんですよ。

これ、

月参りや盆参りや法要のお布施を固定収入とし、

葬儀等のお布施を臨時収入とする。

しかもお布施の金額は、「お気持ち」なんですよ。

 

超かぶりませんか?

 

ただ、一番の違いは、

お金を差し出す側の意識

…なんです。

強制で、いやいや、あるいはしょうがなく差し出すお布施に対し、

イレブンさんとか、いま話題のクラファンなんて言うのは、

お金を出す人が喜んで差し出している。

この差が決定的に大きい。

 

お坊さんのお経の「リターン」とは何なのか?

どうして北村さんへのフリー会計は喜んで差し出すのに、

お坊さんへのお布施には一種の違和感があるのでしょうか。

江戸時代に作られた檀家制度のせいで、家の菩提寺が決められているとかそんなことより以前に、

 

お坊さんが価値を提供できていないから。

コチラ側がお坊さんの価値を感じられていないから。

 

これに尽きますよね。

家族が亡くなると、身内の人は、結構な動揺を強いられます。

亡くなった家族があの世でも幸せにいてほしいと願ってしまう生き物です、人間は。

(これについてはこの記事を!『人はどうして死んでしまった人の行方を考えてしまうのだろう』)

でも、あの世に行ってしまったあの人と会話をする術を僕らは持っていません。

だからこそ、お坊さんの力がいるんですね。

(これについてはこの記事を!『何言っているか聞き取れないけれど、お経の力はすごいんダ!』)

お坊さんのリターンって、とっても明確ですよね。

 

死別の悲しみをどれだけケアしてくれるか。

 

これに尽きます。

たしかに何十万円のお布施は高いかもしれない。

でも、それでもお坊さんがとても誠実で、親身で、こちらに安心感を与えてくれたならば、

きっとそのお金は尊いものになるんです。

高くたって、価値あるものになるんです。

そこのやりとりが、現代は全くうまくいってないから

「お布施高い問題」「お布施いくら包んだらいいんだ問題」が勃発している。

お寺側の発信力のなさ、ふだんの檀家とのつきあいの少なさに原因があるけど、

お寺様を悪者にするんじゃなく、

社会全体から見た時の宗教の立ち位置に問題があると思ってます僕は。

双方の普段からのコミュニケーションが大事なんです。

 

おカネとヒト

経済学者の岩井克人さんに『会社はこれからどうなるのか』という名著があります。

2003年が初版の本。もう15年前のものです。

その中で、こう書かれています。

おカネで買えるモノよりも、おカネで買えないヒトのなかの知識や能力の方がはるかに高い価値を持ち始めているポスト産業資本主義においては、おカネの重要性が急速に下がっているのです。

 

ちょっと小難しいけれど、ぜんぜん小難しくないですよね。

ここでは、「モノ<ヒト」がもうすでに始まっていて、「モノはお金で買える<ヒトはお金で買えない」と書いてます。

なるほど、なるほど。

さて、亡くなった人にお経をあげるお坊さんは、モノですか? ヒトですか?

 

そう! お坊さんはヒトなんです!

 

この一文だけ読むと、なんだかお坊さんを侮辱しているみたいだけれど、

いやはやこれ、結構まじめな話なんですよ。

お坊さん、原価ゼロですやん。

お坊さんという人がそこにいて、遺族に寄り添い、時に宗教儀式を執り行うことで、遺族の心が慰められる。

遺族はお金を差し出し(財施)

お坊さんは、死後の世界の話を語り(法施)

お互いが安心感を共有していく(無畏施)

この一連の流れが、あるべきお布施の形なのです。

 

 

「信用」にお金を差し出す人たち

 

個人の信用そのものが売り物となる職業が世に出てくるだろう

 

これはいまをときめくキングコング西野さんの『革命のファンファーレ』の中の一説です。

個人の信用そのものが売り物になるってのは、「VALU」や「クラファン」を見れば一目瞭然なわけで、世の中そっちの方向にシフトしていくわけですね。

クラファンなんてすごいもので、

モノを買うためにお金を出すんじゃなく、モノ(も含めたさまざまなことがら)を作るためにお金を差し出す

…というようなものですよね。

「がんばっているあの子を応援したい!」

というさりげない想いが、わずかな金額でも投資に向かわせる。

これって、すごいことですよね。

「モノを買う」という発想は、いま目の前にあるモノ(家電でも、車でも)、それがいかに自分に利益をもたらせてくれるか(でかいテレビでド迫力のゲームするとか、高い車でみんなの注視をあびたいとか)をまず考えて、おカネとその利益を天秤にかけてみて、お金を払う払わないを判断します。

ところが、「ヒトを買う」という表現もあるほどで、それは自分にもたらされる利益にではなく、相手への信用に対してお金を支払う行為ですよね。

イレブン北村さんだって、そうだと思うんですよ。

いつかリターン(つまりは利益)はもらえるけれど、そこまでのプロセスや想いを共有できるところが、ただのモノを買うのとはわけが違うのです。

 

利益じゃなく、信用。

 

お布施においても、これがものすごく大事だと思う。

「このお坊さんすごい!じいちゃんの供養、しっかりしてもらおう!」

と、思えたら気持ち多めに包んだらいいし、

「この坊主ひでえな」

と、思えたら気持ち少なめにしたらいいのではないでしょうか。

 

お坊さんのお経は「目に見えない信用」以外の何ものでもない

お坊さんがどうしてお経を上げるのか。

それは、亡くなった方への供養の祈りだからです。

 

もう一度書きます。

 

それは、亡くなった方への供養の祈りだからです。

 

もう一度、「」つきで書きます。

 

それは、「亡くなった方」への「供養」の「祈り」だからです。

 

亡くなった方」も「供養」も「祈り」もこれらには共通点があります。

 

すべて、目に見えないものなんです!

 

亡くなった方の物質は、もうこの世にはありません。

亡くなった方の存在は、僕たちの心の中にあるんですね。

「供養」や「祈り」も同じで、これらは僕らの心の働きじゃないですか。

さっきの岩井克人さんの言葉で言うならば、これらは

「おカネで買えるモノ」ではなく、「おカネで買えないヒト」の中にしかありえないものなんです!

ここに僕は、お布施問題の本質を見ます。

イレブンさんも同じですね。

「優しさ」と「信用」と「本質」で成り立っている。

すべて、目に見えないものばかりです。

お布施の金額は「相場」+「ちょっと背伸び」がおススメ

では最後に、お布施の金額についてなんですが…

 

「相場」+「ちょっと背伸び」

 

が理想だと、とむらいマンは思ってます。

相場ってのは、もう他のインターネットで見てください。

【お布施 相場】で検索すれば

信士信女でウン十万円、居士大姉でホニャラララと書いてあります。

その相場の金額にですね、ちょっと背伸びをおススメします。

相場は一般的な額ですよね。

つまり、故人が大事な人であれ、くっそ生意気だったくっそオヤジであれ、

世間一般的に誰もが包む金額なわけです(だから相場)。

それを少しだけ背伸びするということは、

それだけ分、あなたの故人様への想いが手厚く乗っかる、ということなんです。

そして、それだけ分、お坊さんに期待するということなんです。

僕は、故人を手厚く弔いことを推奨する人間です。

 

手厚い供養は、必ずやあなたを幸せにします。

そして、あなたの幸せは故人様の幸せでもあるのです。

 

ただ問題は、あなたのその手厚い想いをお坊さんがしっかり受けとめて故人に届けてくれるか。

このお寺の資質が、すべてなのだなあ・・・ということで、ぼちぼち筆を置いていく。

 


 

ここで綴ったことは僕なりに思う本質論なので、

「実際の現場ではどんなやりとりがあるんだよー?」

「坊主の本音はなんなのさ」

「理想論ばかり言ってんじゃねー」

などなど、違う意見もあるかもしれません。

オンラインサロンの方は、サロン内で。

そうでない方はTwitterで。

コメントいただければ幸いです。

ですが、これだけははっきりと言えます。

相場なんて、あってないようなものなのです。

お金なんて、あってないようなものです。

亡くなったあなたの大切な家族に、どれだけのものを差し出せるか。

それをどう、人々に還元していくか。

布施はあくまで修行法。

現代でも通じる、素晴らしい思想だと思うのです。

 

とむらいマン

 

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