これだけ覚えて帰ってほしい! 秋分の日はお墓参りの日 

お墓参りは

おじいちゃんやおばあちゃんの家に遊びにいくようなもの

はいどうもー。とむらいマンでーす。

よく売れない漫才師が枕詞のように言うくだりがありますよね。

「みなさんね、これだけは覚えて帰ってくださいよ」

これ、僕も言わせて下さい。

お彼岸について、これからつらつらブログを書きますが、

みなさん、これだけは覚えて帰ってくださいね。

秋分の日は、

お墓参りの日!

でもねー。

このことを知らない人、まだまだ多い。

それも仕方がありませんね。

2013年に日本石材産業協会が申請し、日本記念日協会が認定したものです。

これが世の中に浸透するにはまだまだ時間がかかることでしょう。

(石材業界、あんまりマーケティング上手くなさそうだし…)

しかも今の世の中「墓じまい」の嵐だし。

(墓守いない問題は深刻だからなー)

と、まあ、このブログでは、

お彼岸のこと、お墓参りのこと、つらつら書いていきますよ。

はい、ドン!

秋分の日は、祖先をうやまい、亡くなった人をしのぶ日!

秋分の日は、

お墓参りの日!

(覚えてよ覚えてよ!)

どうして春分の日とか、お盆ではなく、秋分の日なのでしょう。

その根拠は「国民の祝日に関する法律」にあります。

春分の日が自然をたたえ、生物をいつくしむ」ことを趣旨としているのに対し、

秋分の日は…

「祖先をうやまい、亡くなった人をしのぶ」

ことを趣旨としています。

法律の中で祖先崇拝や死者供養を定義しているなんて、

やるじゃないか、日本国!

季節の変わり目に死者と生者が交感するニッポン的情緒

春彼岸も秋彼岸もそうなのですが、

ともに季節の変わり目、ですよね。

この日を境に昼と夜の時間の長さが逆転していく。

春彼岸を超えるといよいよ世界は春を迎えるし、

秋彼岸を超えるといよいよ世界は秋に足を踏み入れる。

この季節が交錯する時期に死者と生者が交感するところに、

僕はなんともニッポン的な情緒を感じます。

特に夕方は「逢魔が時」なんて言って、

「昼と夜の境には魔物に出会いやすい」とされています。

この夕方。

彼岸を語る上では欠かすことのできない時間なのです。

日に願う日願(=彼岸) 西日にこの世を憂い、浄土を想う

「彼岸」とは、あちらの岸という意味で、悟りの世界を表します。

反対の言葉として「此岸(しがん)」という言葉があり、これはこちらの岸という意味で、煩悩や欲望にまみれた僕たちの住む世界のことを指します。うーん。煩悩まみれ・・・。

さて、お彼岸は太陽が真東から昇って真西に沈む日ですが、

仏教では西を司る仏様は阿弥陀如来様です。

この阿弥陀如来が西の彼方に作られた仏国土が、みなさんも聞いたことのある極楽浄土

お彼岸には、西の彼方に沈む太陽を見ながら瞑想する「日想観」という修行が行われ、いまでも大阪の四天王寺では多くの参拝者を集めています

現世に希望が持てない人たちが死後こそ極楽往生したいという想いから爆発的に普及したのが浄土信仰でした。

この世を憂う人たちが、阿弥陀如来を、そして西の彼方にあると言われている極楽浄土を想い、信仰したのですが、その象徴的な日が、太陽が真西に沈むお彼岸だったわけですね。

彼岸は日願。

古くから人々は、彼岸(悟りの世界・極楽浄土)を日に願ったのですね。

(出典元:四天王寺の活動報告ブログ「日に願うから日願(彼岸)より)

※写真は大阪・四天王寺の西大門から仰ぐ夕日。いまでもたくさんの参拝客でごった返し、信仰を集めています。

ご先祖様との対話は、とっても心地がいい

もっかい言います。何度でも言います。

秋分の日は、

お墓参りの日!

みなさんね、

だまされたと思って、

秋分の日は、ぜひともお墓参りをしてみて下さい。

夏のお盆のお墓参りは、ちょっと墓石を磨くだけで汗だらだらになってしまいますが、

秋のお彼岸のお墓参りが気候的にも一番気持ちがいい!

ご先祖様との対話ってのは、なにも言葉を介したものじゃないと思うんですね。

墓石を磨いて、なんだか心地がいい。

花をきれいに供えて、お線香を焚いて、日頃あったことを報告する。

それだけで、充分立派な対話じゃないでしょうか。

僕は、このブログのいろんなところで書いてますが、

お墓参りってのは、おじいちゃんやおばあちゃんの家に遊びにいくようなものだと思ってます。

世のじいちゃんばあちゃんは、孫が来ると必ず喜びますやん。

んで、「ご先祖様」っていうのは、両親、祖父母と続く縦のつながりそのものなんですね。

秋分の日が「祖先をうやまい、なくなった人をしのぶ」ために休日にされているのであれば、

ここはひとつだまされたと思って、

みなさんもお墓参りしちゃいましょう。

ハッピー(幸)とラッキー(福)が舞い込んでくるでしょう。多分、絶対!

とむらいマン

とむらいマンのお彼岸ブログはこちら!↓↓↓

春彼岸のたびに、千昌夫の『北国の春』が泣ける

お彼岸っていつからいつ? 年によって日が違う理由も分かりやすく解説

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コメント

  1. 杉本 より:

    はじめまして、とむらいマン様 去年の12月の暮れに、五人兄弟の長兄が運河にて自死して亡くなりました。 警察からの知らせを受けて直ぐに駆けつけました。兄の遺体の顔を見せて貰いましたが、一見安らか?そうに思えたのがせめてもの慰めでした。。 生前から無職だった兄は、実家の老母が亡くなって一年後に賃貸で借りていた公団から撤去と同時に、ホ―ムレス生活に入り転々と公園などでの路上とネットカフェ等で(疎遠になってない、妹弟から生活資金を貰いながら…)日々をやり過ごしてました。 そんなホ―ムレス生活を5ヶ月程過ごして後に兄は(自死する前に救急車で突然運ばれた入院先での世話もありました。)とうとう自らの命を断ちました。。 今は納骨も済ませて四十九日法要を大阪の一心寺にて行う予定です。 ですが…霊感ある身内から、兄の魂は自殺現場に寂しく留まっているとの事を訊かされました。 私には一切そんな霊感は有りません。訳あって私が兄の白木位牌を預かって朝晩供養の手を合わせ『南無阿彌陀仏』ととなえています。 だから霊感ある身内からの余計な言葉に心揺さぶられて落ち込んでました。ずっと仏教関係の書籍や、スマホから自死者に関する記事を貪る様に探し読んでました。 そんな時にとむらいマン様の記事にたどり着きました。長々と読み辛いお話を勝手ながら書かせて貰い申し訳ありません。。私も日々、亡き兄の成仏を心より願いながら阿弥陀如来様のお慈悲にすがっています。スピリチュアルな言葉よりも、亡き人の安らかな成仏を想い手を合わしている事で、兄の御霊が極楽浄土へと旅立って行けると信じてなりません。 どうか、とむらいマン様の亡きご家族も貴方の供養により極楽浄土でお幸せでいらっしゃいます様に。

    • tomuraiman より:

      コメントありがとうございます。ブログの更新が滞りがちで、ご返信が遅くなり申し訳ありませんでした。
      大変つらい想いをなされたのですね。まずはこの場をお借りして、お悔やみ申し上げます。

      亡くなった方の霊魂がどうなるかは、生きる人間側しだいではないかと、考えます。
      亡き人を想う私たちが少しでも前向きに生きてゆくことができれば、故人様も浮かばれるのではないのかなと。

      そこに死者と生者のつながりを見ます。生きてる人が元気だと、亡くなった人も元気なんです。きっと。
      そして、弔いとはそのつながりを確認するためにある営みです。
      葬儀や法事という儀式を執り行い、仏壇やお墓という祈りの場所を設けるのも、きっとそうなのです。

      私たちが笑える日が来れば、きっと亡き家族も笑ってくれるはずです。私の場合も。あなたさまの場合も。

      そして、きちんと亡き人を弔うためには、弔う本人が元気でなくてはなりませんよね。
      まずはどうかお体ご自愛くださいませ。
      そして、亡きお兄様のご冥福をお祈り申し上げます。