わかしんが僧侶に⁉ 仏教のやさしさとカッコよさへの期待 ~対談記事を書き終えて~

テレビコメンテーターでおなじみの若新雄純さんの記事を書くご縁をいただきました。その編集後記的なものになります。

「わかしん僧侶へ」の一報から、取材オファーを受けるまで

「NEET株式会社」や「ABEMA Praime」などでおなじみの“わかしん”こと若新雄純さんがなんと僧侶になられたとのこと(浄土真宗山元派)。

ゴリゴリの自己啓発がブームな昨今、「論破禁止」「簡潔に話すな」「ゆるいコミュニケーション」などと、若新さんの言説はとってもやさしくて、余白があって、仏教的だなあと感じていたところのこの一報。

「おおお、すごいな」くらいに捉えていたら、なんと私も仲良くさせていただいている臨床心理士のお坊さんYouTuberの武田正文さんが対談企画を実現。

「さすが武田さん。動きが速いぞ!」と思っていたところに、今度は武田さんからの取材のオファー。

これには2つの点で感激しました。

●あの若新さんに話を伺い、記事にできる。
●武田さんがプレスリリース先として私を覚えていてくれた。

ちなみにこの日は日中にとあるロックミュージシャンを取材しており、そして夜9時半からはこれまたXJapanのYOSHIKIに心酔する若新さんの取材。まことにロックな一日でした。

さて、詳しい対談内容はぜひともこちらをご覧いただきたい。

こんな自分を受け入れて生きていくために|若新雄純、僧侶への想いを語る in 武田正文の仏心チャンネル(前編)|仏壇墓石の専門店・素心によるWEBメディア『こころね』
仏壇墓石の専門店・素心によるWEBメディア『こころね』| こんな自分を受け入れて生きていくために|若新雄純、僧侶への想いを語る in 武田正文の仏心チャンネル(前編)のページです。
答えのないことを考えることのカッコよさ|若新雄純、僧侶への想いを語る in 武田正文の仏心チャンネル(後編)|仏壇墓石の専門店・素心によるWEBメディア『こころね』
仏壇墓石の専門店・素心によるWEBメディア『こころね』| 答えのないことを考えることのカッコよさ|若新雄純、僧侶への想いを語る in 武田正文の仏心チャンネル(後編)のページです。

対談の中で語られたことは実に多岐に渡っています。

●若新さん自身の自意識と生い立ち。
●西洋発の学問の限界と仏教との出会い
●ニートたちとの出会いで気づいた「全員、カスでゴミ」
●若新さんの気づきに共鳴する親鸞の思想
●一億総セレブ。天人五衰は超苦しい
●自己実現とは諦めること、こんな自分を受け入れていくこと
●コロナ禍で広まった「そういうのもアリ」
●ない答えをを求めさせられる「自己啓発難民」たちの悲劇
●うじうじ考えることはカッコいい。
●死は探求の究極のテーマ

取り上げたいことはたくさんあるのですが、その中でも若新さんの次の言葉を引用します。

どうしようもない苦しみを味わうことがカッコいい

X JAPANのYOSHIKIの書く歌詞はすべて昔自殺したお父さんへの想いなんです。なんでオレを置いて死んでいったんだということがひたすら書かれていて、どうしようもないことを考えてしまう姿にたくさんの人が魅了されたし、僕もそんなYOSHIKIをカッコいいと思っているんですよね。ズバッと答えが言える。考えても仕方のないことを切り捨てる。こういう姿勢では人は救われないと思う。自分の人生を生きるというどうしようもない苦しみを味わうことがカッコいい生き方なんだみたいな。僕が僧侶になったのは、それを日本人なら誰にでもなじみがある仏教の文脈で体現してみたいと思ったからなんです。

「うじうじ考えることはカッコいい」若新さんの言葉からはその強烈なメッセージが発せられていました。そして、答えのない一番の問題は「死」。死の問題を唯一扱える領域こそが宗教です。

考え、探求し、そして死の問題に取り組もうとしたとき、若新さんの目の前に、考え、探求する宗教者である親鸞聖人という巨人が現れたのだと思います。

全員、カスでゴミ

ニートの会社をやっている時、そこに集まるニートたちがみんな自分を見てほしいと求めてくるんです。「なあ若新、俺らの方が優れているよね」「あいつの方が悪いぞ」「俺らの方が選ばれるべきだよね」と。それで僕、悩んで悩んで出した結論が、「お前ら、全員カスだし、全員ゴミだよ」と。(中略)誰もが排除されない場所というものを考えたときに、「全員を認める」「全員が天才」「全員が神の子」っていうのは嘘くさくて信じられない。「全員ゴミでいい」の方がしっくりきます。

浄土真宗の開祖である親鸞聖人は、自らのことを「愚禿」(=愚かな坊主)と呼びました。どんなに修行を積んでも煩悩を払うことのできない自己の否定から始まる親鸞聖人の思想が、若新さんの気づきに共鳴します。

若新さんの一言一言が力強くて誠実だったのは、自身の生きづらさ、苦しみ、探求から浄土真宗の思想にたどり着いたところです。その底力というか、胆力みたいなものを見せつけられました。

秒で答えるな。うじうじ考えろ

学校では生徒たちに時間内に正しい答えを導き出すことを求めます。本屋さんに並ぶビジネス書にも「秒で答える」「すぐに〇〇できる50のコツ」なんてのがあふれています。現代の大人たちは超重要な大人のたしなみがない。酒、タバコ、コーヒーは飲めても、答えが出ないものを考えられない。ファッションであれ、本質的であれ、考える奴ってカッコいいんだっていう世の中になればいいなと思います。

仏教の価値は、世俗と正反対の価値観を持つところにあります。効率を求める世の中では、答えを秒で導き出すことがよしとされていますが、それに乗っかれない人もたくさんいる。

資本主義は個性と競争を促す制度。そこからこぼれ落ちたものの受け皿として、仏教やお寺がある。生涯を通じて思い通りにいかない「苦」と向き合うことがカッコよく感じられる社会こそに救いがあると若新さんは考えているのでしょう。

仏教は、やさしくてカッコいい

私は、21世紀は、仏教そしてお寺の時代だと心底感じています。社会学者のオタキング・岡田斗司夫さんは「個性と競争の時代」から「分配と共生の時代」へと移り変わると説いていますが、それってまさに仏教じゃん、としか思えない。

若新さんのような影響力のある方が僧籍を持った生き方をすることで、仏教が社会の中でより身近になるのではと期待しています。

僧籍を持ったサラリーマン。僧籍を持った学生。僧籍を持った起業家などなど。

仏教に触れる人が増えれば増えるほど、自らの頭で思考をし、自己の限界に謙虚になり、他者に寛容な社会になっていくのではと感じています。

そうした意味でも若新さんはひとつのアイコンになりえるのではと思いますが、ご自身はあくまでも「僧侶になったのは自分自身の問題です」と言われてました。

いずれにしても、「仏教ってカッコいい」「仏教ってやさしい」、こうした価値観がさらに広がるよう、私自身、できることをやっていきます。

合掌。南無阿弥陀仏。

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