こんにちは。とむらいマンです。
みなさん、枕経(まくらきょう)というものをご存知ですか?
亡くなった人にいち早く読み上げるお経のことです。
臨終を迎えると、
遺体は自宅や葬儀社の施設などに運ばれて安置されるのですが、
安置場所にお寺さんが駆けつけて、
何よりも早く死者供養のために読みあえるお経が、枕経です。
通夜や葬儀のことを決める前に、
まずはお寺さんに飛んで来てもらって、枕経を読み上げてもらうのです。
最近では、この枕経をすることも少なくなりました。
地域性にもよるのでしょうが、
枕経を読み上げてもらうというのは、
丁寧に、手厚く死者を送り出すことでもあります。
しかし、ですね、本来の枕経から考えますと、
これでも物足りないのです。
どういうことかと言いますと、
枕経とは本来、これから亡くなっていく人の不安をなくすためのお経なのです。
ですから、死んでしまったあとの枕経では意味がない。
死人に口なしとは言いますが、まさに死人に耳なし。
遺族の慰めにはなるものの、死者の安寧になるかどうかは疑問。
私は死んだことがないので、
死に赴く人の気持ちというのは、本当に分からない。
でもそこで、
誰かが隣に寄り添ってくれている。
しかもそれが、
この世とあの世を橋渡ししてくれるお坊さんで、
なんだかよくわからないけれど、ありがたいお経を読み上げてくれるとなると、
心の不安のいくばくかは軽減されると思うんですね。
キリスト教にも、
「塗油式」や「聖体拝領」という、危篤の病者への儀式があります。
神父が死に行く者の告白を聞き、神に罪の許しを乞うのです。
現代は、
医療と宗教が切り離されているために、
死の瞬間に宗教者が耳元で語りかけることなど、できないことの方が多いのでしょう。
でも、これこそが、
本来の宗教者の仕事なのではないでしょうか。
普段の作務も、檀家周りも、法事も、寺子屋も、
すべてはこの瞬間に、
安寧をお坊さんに託せるようにするためのもの。
そんな気がするのです。
とまあ、なぜこんなこと書いたかと言うと、
いま、恵心僧都源信の、
『二十五三昧会』についての記事を書いているからです。
真の枕経の原点が、ここにあります。
源信については、また書きます!
とむらいマン
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